パーマカルチャーの世界❺-3 教育のあり方

半農半Xの仕掛け人

2017年01月28日 18:16

教育:「コト」+「ココロ」
 教育の目的は、『人として成長し、自己を生かし発揮する』(as one)ことにある。生活するためには最低の知識(基礎教育)も必要だろうが、一番大切なことは「人間として成長すること」で、人と社会と自然を知り、自分の持ち味(好きなこと・得意・適正・能力等)を生かす「天職」に就いて、『人に喜ばれる存在』となることが最上の人生ではないだろうか。

 人は本来学ぶこと、知ることが好きなはずで、小さい頃の好奇心に溢れた目の輝きはそれを物語っている。しかし、親が子供のペースに“イラッ!“としてその芽を潰していることや、現在の教育は競争社会の要請と相まって格差をつける教育なので、学ぶことがだんだん厭になりツマラナイ仕組みの中で長い期間“我慢”を強いられる青小年期を過ごさざるを得なくなっている。イジメ問題(不登校、引籠り、学級崩壊、家庭崩壊等々)もこの辺から起こっているのではないだろうか。
 また逆に、理解の早い人はもっと早く進級させて高度な教育を受けられるようにしたらいいのではないか。物足りない授業に付き合わされることは無い。変な平等観(悪平等)がはびこり、持ち味も能力も違う子供達を均質な枠に押し込めて評価する方がよほど不平等だと思う。大切なことは人と人に「上下」を設けないことである。実際はないのだがそういう見方が蔓延しているのである。劣等感も優越感も不要な真に平等な社会をつくって行きたい。

 人はみんな違うし、違うからそれが折り重なって、多様で豊かで伸展合適する社会になって行くのである。よく考えてみよう、自分の身の回りで自分が作ったモノがどれだけあるだろうか。衣食住はじめ、ほとんどのものが誰か他の「人」が作ってくれたもので、それに気付けば、作ってくれた人達に感謝の気持ちが沸いてくるのではないか。絶対にお金が作ったのではなく「人」が作ったのである。格差をつけて喜んでいる場合ではない。全ての人が本当に喜んでいる社会を目指したい。

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