欲求と欲望と・・
「
欲求」は生きもの全てに共通する生命の維持・保存に必要な「モノ・コト」を欲することで良いも悪いもない。無いと死んでしまう。しかし、人間の場合は精神的、文化的なことも含まれるので少し複雑だが、これとて自然の営みで、元気に生きていくために必要なことである。
それに対して、「
欲望」は人間だけに備わっていて「モノ・コト」は足りているのに決して満足しないで、さらに欲しがると言う意味で使われている。
人はもっともっとという欲望があるから競争が起こり、勝ち組が支配する社会になっている。ヒトより少しでも先んじようと摩擦が起こったり、優越感や劣等感が交差したり、又なかなか目的を達成できず悩んだり苛立ったり、とかく
煩悩の源泉のように言われている。
最近「
足るを知る」ということが強調されだした。パーマカルチャーの仲間たちは質素だが豊かな自然と共に歩む生活に入っている人が多い。
しかし、これに気付き行動に出る人は極々少数派で、大半の人は世間の常識的な価値観・流行にドップリ浸った挙句悩みまくって出口が見えない。地球環境が悪化していると聞いても欲望は抑えられないし、質素清貧もあり得ない。
こうなればこの道を進み続けるか、一念発起宗教の道にでも入って修行し成仏するか聖人君主にでもなるしか道はないのだろうか。少し考え方を変えてみたらどうか。欲望を抑えようとするから大変なのである。
逆にもっともっと欲望を大きくできないか・・
自分だけが得することや自分の家族だけとか、自分の会社だけとか、自分の国だけとか範囲の狭い、小さな目先のことだけに囲うからケチ臭く、悍ましくなるのだ。
小欲より大欲へ、 小愛より大愛へ
パーマカルチャー提唱者のビル・モリソンはかつてこう言った。
「パーマカルチャーの究極の目的は世界中を
食べられる森にすることだ!」と
全ての人が自分の食べるもの、自分が使うエネルギー等自給自活するライフスタイルに転換すれば世界はすぐに食べられる森になる。
自然は豊かでとても自分だけでは食べきれないくらいの恵みがある。
お金はヒトにあげたくないが、採れた野菜は何故かヒトにあげたくなる。黙っていても「
互恵・共生」の優しい社会は出来上がる。
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