2012年12月12日
コミュニケーション(会話)の進化
社会とは複数の関係し合っている「人間」のネットワークのことで、一人では生きて行けない人間は社会生活の上で「コミュニケーション(会話)」が最も重要な要素である
事実、就活時の採用側の担当者はその人の『コミュニケーション力』を一番重要視するようである。長年一緒に仕事をする人と上手く話が出来ないと困ったことになるからだそうである。また取引相手の感情を害することになれば企業として致命的にもなる。
500万年ほど昔、人類が森から草原に降りて来て2足歩行を始めた時、喉に余裕が出来て色々な音声が出しやすくなり言語が発達したと言われている。
この言語の発達と同時に手が自由になって道具を作ることが出来るようになり「脳」が発達し人類は知的生命体として進化して来たようである。
しかし、人類の歴史は地球の歴史や38億年の生命誌からみるとまだまだ浅く知的レベルは幼稚で、対立感や争い事が無くならないようではまだまだ初期的段階のようにみえる。
進歩には「競争」が必要だと教育の場や職場で公然と言われるようでは、進歩する前に破滅しかねない危うさに苛まれそうである。
コミュニケーションは《聴く人》と《話す人》がいて成立するもので、どちらか一方では成り立たない。今のような競争社会では「言った方が勝ち」で、聴く人のことはまるで眼中になく一歩的に喋りまくり、あろうことか相手に何も喋らせないくらいの勢いである。
たとえ相手が喋っていても次に何を喋ろうかばかり考えていて、相手の話はほとんど聞いていないようである。政治家の先生たちやコメンテーターがテレビに出て討論してもこんな調子である。つまり、コミュニケーションが成り立っていないのである。
コミュニケーションの基本は
「投げかけたものが返ってくる。投げかけなければ返らない。
愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。
嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない。」
これは、宇宙の法則でもあり、実にシンプルなことである。
人は、言っている中身より、その時に発している「心の波動」のようなものが伝わるようである。
相手の言うことを無視すれば、自分も無視される。言えば言うほどソッポを向かれる。会話はまず「聴く」ことから始まる。聞いたらすぐ自分の意見を言おうとしがちだが、まずはとことん相手の言うことや根拠を聴こうとする態度が必要で、途中で話の腰を折らないことが肝心なのである。(これにはある程度練習が必要かもしれない)
先日ラジオ放送である方の投稿を紹介していた。何か悩み事等があると近所の人達がよく相談に行くおばあちゃんがいるそうで、地元では評判の人らしい。どんな凄いおばあちゃんかと思っていたら、そのおばあちゃんは頷くだけ、一方的に聴くだけで、何も答えないらしい。相談者にとことん喋らしてその後に聞くらしい「それで、あなたは何をしたいの?」と。そこで答えると、「そう!それならやってみればいいね。」と、ただそれだけだそうである。
人は誰かに自分を理解してもらいたい。認めてもらいたいと強い欲求かあるようである。(マズローの欲求の第4段階)
自分の『気持ち』(思いや感情等)を伝え、相手の『気持ち』(思いや感情等)を受けとろうとすること。これがコミュニケーションで、人間社会の基本をなすものである。
しかし、現状の話し合いの場面では、相手の言った『こと』に反応し、相手の『気持ち』を無視していることがとても多く見受けられる。
例えば、自分と異なる意見を言うと、反対・否定・対立と受け取り感情を害したり、相手の意見より自分の方が正しいと頑固に主張して相手の人間そのものを受け入れない感情に苛まれたりしている。何をどう思うとその人の勝手なのにね。
言われたことはやらなきゃならないと思ったりする癖がついているようだ。
ハッキリしておきたいことは「話し合うこと」と「行動すること」は別物であるということである。行動するかどうかはその人の自由意志である。
相手を理解しよう、受入れようとする人がいることで、安心して思うがままに自分のことが話せるようにるのである。
コミュニケーションは「聴き合う」ことが基本で、これが出来るようになってはじめて「本当の話し合い」が出来るようになるのである。こうなれば、遠慮や気兼ねなく何でも言えるようになる。また、異なる意見を言う人に興味が出て来て益々聴きたくなる。
相手が個人だけでなく社会や国家間でも同じで、「聴き合う文化」になれば、「世界は住みよく、楽しい社会」になるのだがねぇ・・・・
シンプルなんだけどね・・・・
事実、就活時の採用側の担当者はその人の『コミュニケーション力』を一番重要視するようである。長年一緒に仕事をする人と上手く話が出来ないと困ったことになるからだそうである。また取引相手の感情を害することになれば企業として致命的にもなる。
500万年ほど昔、人類が森から草原に降りて来て2足歩行を始めた時、喉に余裕が出来て色々な音声が出しやすくなり言語が発達したと言われている。
この言語の発達と同時に手が自由になって道具を作ることが出来るようになり「脳」が発達し人類は知的生命体として進化して来たようである。
しかし、人類の歴史は地球の歴史や38億年の生命誌からみるとまだまだ浅く知的レベルは幼稚で、対立感や争い事が無くならないようではまだまだ初期的段階のようにみえる。
進歩には「競争」が必要だと教育の場や職場で公然と言われるようでは、進歩する前に破滅しかねない危うさに苛まれそうである。
コミュニケーションは《聴く人》と《話す人》がいて成立するもので、どちらか一方では成り立たない。今のような競争社会では「言った方が勝ち」で、聴く人のことはまるで眼中になく一歩的に喋りまくり、あろうことか相手に何も喋らせないくらいの勢いである。
たとえ相手が喋っていても次に何を喋ろうかばかり考えていて、相手の話はほとんど聞いていないようである。政治家の先生たちやコメンテーターがテレビに出て討論してもこんな調子である。つまり、コミュニケーションが成り立っていないのである。
コミュニケーションの基本は
「投げかけたものが返ってくる。投げかけなければ返らない。
愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。
嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない。」
これは、宇宙の法則でもあり、実にシンプルなことである。
人は、言っている中身より、その時に発している「心の波動」のようなものが伝わるようである。
相手の言うことを無視すれば、自分も無視される。言えば言うほどソッポを向かれる。会話はまず「聴く」ことから始まる。聞いたらすぐ自分の意見を言おうとしがちだが、まずはとことん相手の言うことや根拠を聴こうとする態度が必要で、途中で話の腰を折らないことが肝心なのである。(これにはある程度練習が必要かもしれない)
先日ラジオ放送である方の投稿を紹介していた。何か悩み事等があると近所の人達がよく相談に行くおばあちゃんがいるそうで、地元では評判の人らしい。どんな凄いおばあちゃんかと思っていたら、そのおばあちゃんは頷くだけ、一方的に聴くだけで、何も答えないらしい。相談者にとことん喋らしてその後に聞くらしい「それで、あなたは何をしたいの?」と。そこで答えると、「そう!それならやってみればいいね。」と、ただそれだけだそうである。
人は誰かに自分を理解してもらいたい。認めてもらいたいと強い欲求かあるようである。(マズローの欲求の第4段階)
自分の『気持ち』(思いや感情等)を伝え、相手の『気持ち』(思いや感情等)を受けとろうとすること。これがコミュニケーションで、人間社会の基本をなすものである。
しかし、現状の話し合いの場面では、相手の言った『こと』に反応し、相手の『気持ち』を無視していることがとても多く見受けられる。
例えば、自分と異なる意見を言うと、反対・否定・対立と受け取り感情を害したり、相手の意見より自分の方が正しいと頑固に主張して相手の人間そのものを受け入れない感情に苛まれたりしている。何をどう思うとその人の勝手なのにね。
言われたことはやらなきゃならないと思ったりする癖がついているようだ。
ハッキリしておきたいことは「話し合うこと」と「行動すること」は別物であるということである。行動するかどうかはその人の自由意志である。
相手を理解しよう、受入れようとする人がいることで、安心して思うがままに自分のことが話せるようにるのである。
コミュニケーションは「聴き合う」ことが基本で、これが出来るようになってはじめて「本当の話し合い」が出来るようになるのである。こうなれば、遠慮や気兼ねなく何でも言えるようになる。また、異なる意見を言う人に興味が出て来て益々聴きたくなる。
相手が個人だけでなく社会や国家間でも同じで、「聴き合う文化」になれば、「世界は住みよく、楽しい社会」になるのだがねぇ・・・・
シンプルなんだけどね・・・・
Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 18:30│Comments(2)
│生き方・考え方
この記事へのコメント
とても良いですね、勉強になります*
ありがとうございます!
ありがとうございます!
Posted by さかい ゆい at 2012年12月19日 21:30
コメント有難うございました。
Posted by さかいせいご at 2012年12月20日 05:11