2016年10月25日
ドリちゃん パーマカルチャーを志す
ドリちゃんが小学生になった頃、近所で住宅の新築工事が始まった。彼はその現場を見に行くことがとても好きで、次第に自分が住みたい住宅を夢見て図面のようなモノを描いていたのでした。それを見たお父さんは工学系の人だったので、その拙い図面を採点したり、コメントを書いたりしてくれていたのでした。
そのおかげか、小学の高学年になった時には住宅雑誌の懸賞間取りに応募をして入賞したこともあったようです。また、高度経済成長期の時代、小学生用の雑誌に載っていた菊竹清訓という建築家が描く海上都市のイラストに衝撃を受け、真鍋博の描く未来都市のイラストにも魅せられ、次第に建築家になりたいという夢は膨らんで行ったのでした。しかし、中学、高校時代は残念ながら受験勉強に追われいつしか図面を描くことから遠ざかって行きました。
そんなドリちゃんが高校に入った時、倫理社会の授業で狼少年のことを知りました。「インドで狼に連れ去られ狼に育てられた人間の子供が発見されたのでしたが、その子は狼そのものの立ち居振る舞いで人間の社会に戻そうと一生懸命試みられましたが、遂に回復することはできなかった。」ということを習った時、彼はとても衝撃を受けました。何故なら人は人間の社会の中で育たなければ人間にならないということが分かったからです。
動物は人間が育てても人のようになることは決してないのです。野性味はなくなるが、決定的変化はない。しかし、人の場合は人間の社会、人間の文化の中で育たなければ人間にはならない。狼に育てられたら狼になってしまう。このことはドリちゃんにとっては大事件だったらしく、暫くはなかなか頭の中から離れないようでした。
であれば、青年の志からすると彼は人類学か哲学方面に進む方が自然であったかも知れないが、何故か彼は小さい頃に描いた建築の道を選んでいったのでした。それから35年間東京で建築設計の仕事に携わり昔の衝撃はすっかり忘れられたようでしたが、自分の子供達が巣立ったら今までとは違う道を歩みたいという「願」を持ち始めていたのでした。
丁度そんな折事件が起こりました。「パーマカルチャーのお話会」があるよと教えてくれた人がいたのです。もともとデザイン志向のドリちゃんでしたので、パーマカルチャーは「永続可能な環境づくりのデザイン体系」であるということ。そして「永続可能な農ある暮らしと文化の構築」であると聞いた時は「これだ!」。「私の為に用意されていた!」とさえ思ったのでした。
産業革命に端を発する近代化と資本主義は、封建制からの解放だ!と多くの人達は沸き立ったが、良いことは200年程しか続かなかった。「大量生産・大量消費」は「大量輸送・大量廃棄」を意味し、そのツケは1960年代頃から地球環境に異変をもたらし始め、半世紀経ったいまでも世界中は矛盾と混乱に満ち、出口の見えない模索が続いている。
しかし、ドリちゃんはここで「パーマカルチャーの出番である」と気付いた。パーマカルチャーは単なる農的暮らしではなく、地球の生命の永続可能性を育む「環境と社会」を構築し、全ての人が参加できる「文化の体系」なのであると。
ドリちゃんの若い頃からの興味の対象であった「建築(環境)」と
人々の暮らしである「文化の構築」が統合されたのでした。
やはりパーマカルチャーの世の中にしないと本当の《自由・平等》は訪れないのではないだろうか。
そのおかげか、小学の高学年になった時には住宅雑誌の懸賞間取りに応募をして入賞したこともあったようです。また、高度経済成長期の時代、小学生用の雑誌に載っていた菊竹清訓という建築家が描く海上都市のイラストに衝撃を受け、真鍋博の描く未来都市のイラストにも魅せられ、次第に建築家になりたいという夢は膨らんで行ったのでした。しかし、中学、高校時代は残念ながら受験勉強に追われいつしか図面を描くことから遠ざかって行きました。
そんなドリちゃんが高校に入った時、倫理社会の授業で狼少年のことを知りました。「インドで狼に連れ去られ狼に育てられた人間の子供が発見されたのでしたが、その子は狼そのものの立ち居振る舞いで人間の社会に戻そうと一生懸命試みられましたが、遂に回復することはできなかった。」ということを習った時、彼はとても衝撃を受けました。何故なら人は人間の社会の中で育たなければ人間にならないということが分かったからです。
動物は人間が育てても人のようになることは決してないのです。野性味はなくなるが、決定的変化はない。しかし、人の場合は人間の社会、人間の文化の中で育たなければ人間にはならない。狼に育てられたら狼になってしまう。このことはドリちゃんにとっては大事件だったらしく、暫くはなかなか頭の中から離れないようでした。
であれば、青年の志からすると彼は人類学か哲学方面に進む方が自然であったかも知れないが、何故か彼は小さい頃に描いた建築の道を選んでいったのでした。それから35年間東京で建築設計の仕事に携わり昔の衝撃はすっかり忘れられたようでしたが、自分の子供達が巣立ったら今までとは違う道を歩みたいという「願」を持ち始めていたのでした。
丁度そんな折事件が起こりました。「パーマカルチャーのお話会」があるよと教えてくれた人がいたのです。もともとデザイン志向のドリちゃんでしたので、パーマカルチャーは「永続可能な環境づくりのデザイン体系」であるということ。そして「永続可能な農ある暮らしと文化の構築」であると聞いた時は「これだ!」。「私の為に用意されていた!」とさえ思ったのでした。
産業革命に端を発する近代化と資本主義は、封建制からの解放だ!と多くの人達は沸き立ったが、良いことは200年程しか続かなかった。「大量生産・大量消費」は「大量輸送・大量廃棄」を意味し、そのツケは1960年代頃から地球環境に異変をもたらし始め、半世紀経ったいまでも世界中は矛盾と混乱に満ち、出口の見えない模索が続いている。
しかし、ドリちゃんはここで「パーマカルチャーの出番である」と気付いた。パーマカルチャーは単なる農的暮らしではなく、地球の生命の永続可能性を育む「環境と社会」を構築し、全ての人が参加できる「文化の体系」なのであると。
ドリちゃんの若い頃からの興味の対象であった「建築(環境)」と
人々の暮らしである「文化の構築」が統合されたのでした。
やはりパーマカルチャーの世の中にしないと本当の《自由・平等》は訪れないのではないだろうか。
Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 09:18│Comments(0)
│生き方・考え方
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