2012年08月27日
マズローを超えて・・・・『コミュニティの欲求』 (kw16)
アメリカの心理学者のアブラム・マズロー(1908~1970)は欲求の5段階説でよく知られている。現在心理学の世界も多岐にわたり超心理学などは自然現象内では測れない超常現象までカバーしているようだ。
しかし、我々が経験するリアルな世界では、未だにマズローの欲求段階説は有効に思われる。
多くの方に知れ渡っていることだが、軽く振り返ってみよう。
1、、≪生理的欲求≫:人類の最初の欲求で、動物もすべてそうだが、これがないと生命維持・保存が困難なもので、食事、睡眠、排泄、SEX等々の欲求ことだ。
2、、≪安全の欲求≫:1の欲求が満たされると同時に、次に出てくる欲求がでいつまでも生きていたいという欲求だ。
※この2つが『生存欲求』とか『物質的欲求』とかとか言われている。
3、≪所属・愛の欲求≫:生存欲求が満たされると、人類は集団を形成し所属と愛を求める。その方が生存に有利だし、一体感や安心感が満たされるようだ。(親和の欲求とも言っている)
4、≪承認の欲求≫:人は集団や社会の中で、周りの人達に自分の存在を認められたいという欲求が出てくる、これが高じたものが「財力」「権力」「名誉」で、相対的ではあるが相当強い欲望で、ここに煩悩が発生する。(自我の欲求とも言っている)
※この2つが『精神的欲求』とか『社会的欲求』とかとか言われている。
しかし、人間は人の目を気にしながら精力的にやっている時期は気づかないが、間もなく「財力・権力・名誉」では満たされないものを感じ始めるようだ。そこで・・
5、≪自己実現の欲求≫:A・マズローの言う最後の欲求。これが人間ならではの、無報酬で飯も食わずに打ち込むほど心を動かす対象で、≪真・善・美≫を求めることもその最たる例で、一人でいても充実感や自己肯定感、自尊心、幸福感を感じるものでしょう。
人間は、自分自身を決して誤魔化せないのである。
「本当にやりたいことをやりた~い!」
※これが『成長欲求』と言われ、精神的存在の人間の究極の欲求でしょう。
しかし、これでも心ある人は何かが足りないと気づき始めた。
自己実現しても満たされないものがある。自己実現は何処まで行っても「自己の欲求」だからである。他の人にとってはそれに何の価値も見いだせない人が大勢いるのだ。
マズロー自身も何かが欠けていると感じたようで≪自己超越の欲求≫だとか構想していたようである。しかし、これは個人的な脳内体験であり、話がややこしくなるので、今の段階では保留にしておこう。
6、≪コミュニティの欲求≫:今までの5段階は全て「自己の欲求」である。
それに対して、「社会の欲求」つまり、個々人の個別閉鎖欲求ではなく、ガイアの一員としての「全体の欲求」が付け加えるべきだとか言われ始めた。
この欲求は「自己実現の欲求」の次に付け加える欲求ではなく、次元の違う欲求のようだ。
コミュニティの欲求は「愛を求める」のではな、く「愛を与える欲求」の世界で、自分に有利とか自分が得する『私利私欲』に対し、
『公利公欲』と呼ばれる世界のことである。
愛は求めても限界があるが、与えることには限界がない。
≪無限≫ ≪永遠≫ ≪無境界≫
≪無辺の愛≫
この意識で満たされると果てしなく広がる世界が見えてくる。
煩悩を取り去る修業も、瞑想も必要がない。
苦しみからの出発ではなく、喜びの世界からの出発である。
そこに人類の意識が転換できるかどうかに掛かっている。
『パーマカルチャー』は、食料やエネルギーの自給を提唱し、コミュニティの構築を行動理念として掲げている。それにより自己欲求の5段階は充足され、6段階の「コミュニティの欲求」も満たされていく。
OPeNの理念≪世界中の人が住みよい、楽しい社会づくり≫
『パーマカルチャー』はそのような世界を構築することであり、それを実現するための具体的手段なのである。
しかし、我々が経験するリアルな世界では、未だにマズローの欲求段階説は有効に思われる。
多くの方に知れ渡っていることだが、軽く振り返ってみよう。
1、、≪生理的欲求≫:人類の最初の欲求で、動物もすべてそうだが、これがないと生命維持・保存が困難なもので、食事、睡眠、排泄、SEX等々の欲求ことだ。
2、、≪安全の欲求≫:1の欲求が満たされると同時に、次に出てくる欲求がでいつまでも生きていたいという欲求だ。
※この2つが『生存欲求』とか『物質的欲求』とかとか言われている。
3、≪所属・愛の欲求≫:生存欲求が満たされると、人類は集団を形成し所属と愛を求める。その方が生存に有利だし、一体感や安心感が満たされるようだ。(親和の欲求とも言っている)
4、≪承認の欲求≫:人は集団や社会の中で、周りの人達に自分の存在を認められたいという欲求が出てくる、これが高じたものが「財力」「権力」「名誉」で、相対的ではあるが相当強い欲望で、ここに煩悩が発生する。(自我の欲求とも言っている)
※この2つが『精神的欲求』とか『社会的欲求』とかとか言われている。
しかし、人間は人の目を気にしながら精力的にやっている時期は気づかないが、間もなく「財力・権力・名誉」では満たされないものを感じ始めるようだ。そこで・・
5、≪自己実現の欲求≫:A・マズローの言う最後の欲求。これが人間ならではの、無報酬で飯も食わずに打ち込むほど心を動かす対象で、≪真・善・美≫を求めることもその最たる例で、一人でいても充実感や自己肯定感、自尊心、幸福感を感じるものでしょう。
人間は、自分自身を決して誤魔化せないのである。
「本当にやりたいことをやりた~い!」
※これが『成長欲求』と言われ、精神的存在の人間の究極の欲求でしょう。
しかし、これでも心ある人は何かが足りないと気づき始めた。
自己実現しても満たされないものがある。自己実現は何処まで行っても「自己の欲求」だからである。他の人にとってはそれに何の価値も見いだせない人が大勢いるのだ。
マズロー自身も何かが欠けていると感じたようで≪自己超越の欲求≫だとか構想していたようである。しかし、これは個人的な脳内体験であり、話がややこしくなるので、今の段階では保留にしておこう。
6、≪コミュニティの欲求≫:今までの5段階は全て「自己の欲求」である。
それに対して、「社会の欲求」つまり、個々人の個別閉鎖欲求ではなく、ガイアの一員としての「全体の欲求」が付け加えるべきだとか言われ始めた。
この欲求は「自己実現の欲求」の次に付け加える欲求ではなく、次元の違う欲求のようだ。
コミュニティの欲求は「愛を求める」のではな、く「愛を与える欲求」の世界で、自分に有利とか自分が得する『私利私欲』に対し、
『公利公欲』と呼ばれる世界のことである。
愛は求めても限界があるが、与えることには限界がない。
≪無限≫ ≪永遠≫ ≪無境界≫
≪無辺の愛≫
この意識で満たされると果てしなく広がる世界が見えてくる。
煩悩を取り去る修業も、瞑想も必要がない。
苦しみからの出発ではなく、喜びの世界からの出発である。
そこに人類の意識が転換できるかどうかに掛かっている。
『パーマカルチャー』は、食料やエネルギーの自給を提唱し、コミュニティの構築を行動理念として掲げている。それにより自己欲求の5段階は充足され、6段階の「コミュニティの欲求」も満たされていく。
OPeNの理念≪世界中の人が住みよい、楽しい社会づくり≫
『パーマカルチャー』はそのような世界を構築することであり、それを実現するための具体的手段なのである。
Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 18:05│Comments(0)
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