てぃーだブログ › パ―マカルチャー  in the age of “AI・BI・CI”

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2016年11月18日

パーマカルチャーの世界③-1 倫理(心掛け)

パーマカルチャーの根幹

・永続可能:自分の思考(思い・考えていること)と行為(なすこと・行うこと)が永続可能なことであるかどうか。
・循環:自然のシステムは循環を基本にしていて、留まることもなく無くなることもなく常に変化している。ここにココロを合わせる。


新たな「文化」の構築(モノ、コト、ココロ)
 永続可能で豊かで楽しい人生にする為に、今までの先入観や固定観念を見直し、新しい「文化」を育む
 私たちの生活空間の周りには社会環境とそれを包んで自然環境があり、普段はあまり意識されないが、全ての人は否応なくこれらにより人間観・社会観・自然観つまりその人なりの「世界観」を築いている。この観念を「永続可能な文化」に高めるためにパーマカルチャーの精神を学んで行きたい。

 私たちのリアルな暮らしは「モノ」と「コト」で埋め尽くされている。ここではモノとは物質全般のことで、コトとは人のなすこと(人為)全てを指している。例えば・・

 ◆仕事(コト)をして衣食住(モノ)を手に入れたり、また学んだり遊んだり眠ったり等々、人は常に何か「コト」をしている。
 ◆モノも自然物と人工物とほぼ無限にある。その中からその都度選択しながら生きて行く訳だが、その元となっている判断の基準が「文化」との応答により培われたそのヒトの「ココロ」である。
 ◆ココロとは一般的に「精神作用」つまり知識、観念、記憶、思考、知恵、感情、意志、等々の総体を指している。あまり意識的ではないし、正しいこと当り前のことと思っているが、どんなココロかによって、自ずと行為(コト)が変わってくるし、選ぶモノも変わってくる。今ある自分の世界は「ココロ」がつくりだしているといっても良いだろう。
 

 ◆自分を調べ、自分を知り、自分を変える
 本当は人は楽しく平和に過ごしたいのだが、悩み(苦しみ)は尽きないようである。この時自分のココロに向えば解決するのだが、とっさに相手や状況・条件等、他のせいにしがちである。特に「人のせい」にして解決したようにすることが多い。
 元の自分のココロをそのままにして周りを変えようとしても無理があり、苛立ちと不満が充満し気分がスッキリしない暗く悲しい人生となる。本人も本当は望んではいないのに何故こうなるのか、ここは一言では言い尽くせない内容があるが、一言で言えば日常を離れてゆっくりとココロを高める本を読むあるいは学びの場で「自分を調べる習慣」を身に着けよう。ここが解決すれば快適で愉快な人生になる。

 このことについては又、別の機会に譲りましょう。 
 次回に続く
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 19:58Comments(0)パーマカルチャーの世界

2016年11月10日

パーマカルチャーの世界⓶-2 原点

 建築家としても有名なバックミンスター・フラーの「宇宙船地球号操縦マニュアル」の日本語訳本が1985年に出版された。
 そして、2006年「パーマカルチャーしよう!」糸長浩司監修の日本初の本が紹介された。パーマカルチャーの全体をカバーし入門書としてとても読みやすい本なので一読をお勧めします。


  人は本能に無自覚ではあるがシッカリ支配されている原点である。
 ガイア仮説:1960年代NASA(アメリカ航空宇宙局)のあるプロジェクトで大気学を研究していたジェームズ・ラブロック教授が提唱したもので、地球に生存する全ての生態系が一つの生命体ではないかとする魅力あふれる仮説である。
 地球に住む生き物(生命体)は大きく分けると3種類で、それぞれ役割があり密接に繋がっている。
 植物は「生産者」、動物は「消費者」、微生物が「分解者」と呼ばれる。
 まず生産者としての植物は太陽(光・熱)、雨(水)、空気(CO2)、土壌等の地球自然環境の中で生育しそれを動物が食糧として生きている。動物の中には肉食系もいてそれぞれ保ち合い数のバランスがとれて生存が維持されている。
 その動物達の排泄物や死骸、また植物の亡骸等も微生物が分解して土に戻し、その中に含まれる栄養素等が植物の根によって吸収され育ち、それをまた動物が食べる大きな循環になっている。このように密接な関係性の中で相互作用を繰り返し環境と共進化しながら
共存している。


 そして、生き物には「本能」と呼ばれるもの(意識・意志=生命)が備わっている。
  1、個の保存:命がある限り生き続けて行く
  2、種の保存:子孫を残し、命を次代に繋ぐ


 人類も同様で、思い為すことほとんどはこの本能で説明できるが、知能が進化した人間は少し異なる様相を呈していて、マズローが分析したように「社会的な欲求」や「自己実現の欲求」等が加わって様々な現象が見られる。が、やがて、長い歴史の中で脳が進化し人類の中にもう一つの本能が加わった。 
  3、人が喜ぶと嬉しい
 これは「共感」と言われ人間以外の動物には見られない。1と2が「自利」であるとすれば、3は「利他」と呼べるもので、1とは反対の概念が併存していることになる。
 仏教では「自利利他」と言われ、自分が幸せになってから他の人を幸せにする。ではなくて、他の人を幸せにすることで(ついでに)自分が幸せになるという意味だそうである。
 まさに、パーマカルチャーの原点はここにあるのではないか。
 ここを外すと正義感や名誉が先行し、訳が解らなくなるので心したいものである。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 07:37Comments(0)パーマカルチャーの世界

2016年10月31日

パーマカルチャーの世界⓶ー1 テーマ

テーマ:人類の課題「世界中の人々が住みよい、楽しい地球社会」づくり

 人は一人では生きて行けない、人間にすらなれない。ひとと共に生きることによってはじめて心身ともに豊かで幸せな人生となる。
 しかし、現実の身の回りには他の人がいるがために悩み(苦しみ)が多いようだ。この世での三大悩みは
1、人間関係(ココロ) 2、仕事・お金(コト) 3、身体・健康(モノ)
 
と言われているが、その中で一番大きな悩みは1の“人間関係”だそうである。
 不平・不満、嫉妬、怒り、憎しみ等全て人間関係に起因していて、それが高じると罵声、暴力、テロ、戦争にまで発展する。
 ここを解決しない限り人類から悩み・苦しみは永遠になくならないのではないだろうか。動物さえもしないようなことを、ホモサピエンス(賢い人)と言われる知的な人類がこれではお粗末としか言えない。
 
 その解決策としてパーマカルチャーの世界を共に考えて行きたい。

 この体系は1978年にタスマニア大学(オーストラリア)のビル・モリソン教授によって考案され、世界中に着々と広がっているが、これまで「農的暮らし」をベースに新たなシンプルライフ(=田舎暮らし)の指南書として流布してきた。それは素晴らしい内容を含んではいるのだが、大多数のモダニズムに身も心も染めあげられた都会志向暮らしの人々の心にはあまり届かず、趣味的な位置づけで捕えられたようである。


 しかし、パーマカルチャーの精神を丁寧に読み取って行けば、この世の中の価値観を一変するような内容が含まれており、「世界中の人々が住みよい楽しい社会」づくりが誰にでもできる具体的な方法が示されているのである。
 また、求めればどこまでも深めることのできる知的で奥深い内容をも含んでいることに気付くのにそう時間はかからないだろう。


       ビル・モリソンが作成したパーマカルチャーの木と呼ばれている表

 「permanent永久の、永続する」+「culture文化」でパーマカルチャーと名づけられた。つまり単なる農的暮らしではなく
 「永続可能な文化」の創造を目指しているのだ。

 「文化」とは、ある時代の社会や民族の「風習」・「伝統」・「思考方法」・「価値観」などその地域の全ての人に自ずと伝承される精神的所産。つまり、

 「コミュニティ」(ココロ)+
 「ライフスタイル」(コト)+
 「環境」(モノ)

 の総称であり。ちなみに「文明」とは『文化』が技術や実用により物質(モノ)化したもので、快適で便利な暮らしを求めて作り上げてきた人類の物的所産をいう。ここではそう規定して話を進めていきます。
~次回に続く
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 15:06Comments(0)パーマカルチャーの世界

2016年10月25日

ドリちゃん パーマカルチャーを志す

 ドリちゃんが小学生になった頃、近所で住宅の新築工事が始まった。彼はその現場を見に行くことがとても好きで、次第に自分が住みたい住宅を夢見て図面のようなモノを描いていたのでした。それを見たお父さんは工学系の人だったので、その拙い図面を採点したり、コメントを書いたりしてくれていたのでした。


 そのおかげか、小学の高学年になった時には住宅雑誌の懸賞間取りに応募をして入賞したこともあったようです。また、高度経済成長期の時代、小学生用の雑誌に載っていた菊竹清訓という建築家が描く海上都市のイラストに衝撃を受け、真鍋博の描く未来都市のイラストにも魅せられ、次第に建築家になりたいという夢は膨らんで行ったのでした。しかし、中学、高校時代は残念ながら受験勉強に追われいつしか図面を描くことから遠ざかって行きました。
 
 そんなドリちゃんが高校に入った時、倫理社会の授業で狼少年のことを知りました。「インドで狼に連れ去られ狼に育てられた人間の子供が発見されたのでしたが、その子は狼そのものの立ち居振る舞いで人間の社会に戻そうと一生懸命試みられましたが、遂に回復することはできなかった。」ということを習った時、彼はとても衝撃を受けました。何故なら人は人間の社会の中で育たなければ人間にならないということが分かったからです。


 動物は人間が育てても人のようになることは決してないのです。野性味はなくなるが、決定的変化はない。しかし、人の場合は人間の社会、人間の文化の中で育たなければ人間にはならない。狼に育てられたら狼になってしまう。このことはドリちゃんにとっては大事件だったらしく、暫くはなかなか頭の中から離れないようでした。
 であれば、青年の志からすると彼は人類学か哲学方面に進む方が自然であったかも知れないが、何故か彼は小さい頃に描いた建築の道を選んでいったのでした。それから35年間東京で建築設計の仕事に携わり昔の衝撃はすっかり忘れられたようでしたが、自分の子供達が巣立ったら今までとは違う道を歩みたいという「願」を持ち始めていたのでした。
 
 丁度そんな折事件が起こりました。「パーマカルチャーのお話会」があるよと教えてくれた人がいたのです。もともとデザイン志向のドリちゃんでしたので、パーマカルチャーは「永続可能な環境づくりのデザイン体系」であるということ。そして「永続可能な農ある暮らしと文化の構築」であると聞いた時は「これだ!」。「私の為に用意されていた!」とさえ思ったのでした。


 産業革命に端を発する近代化と資本主義は、封建制からの解放だ!と多くの人達は沸き立ったが、良いことは200年程しか続かなかった。「大量生産・大量消費」は「大量輸送・大量廃棄」を意味し、そのツケは1960年代頃から地球環境に異変をもたらし始め、半世紀経ったいまでも世界中は矛盾と混乱に満ち、出口の見えない模索が続いている。
 しかし、ドリちゃんはここで「パーマカルチャーの出番である」と気付いた。パーマカルチャーは単なる農的暮らしではなく、地球の生命の永続可能性を育む「環境と社会」を構築し、全ての人が参加できる「文化の体系」なのであると。
ドリちゃんの若い頃からの興味の対象であった建築(環境)」
人々の暮らしである文化の構築が統合されたのでした。
やはりパーマカルチャーの世の中にしないと本当の《自由・平等》は訪れないのではないだろうか。

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 09:18Comments(0)生き方・考え方

2016年10月13日

パーマカルチャーの世界①~プロローグ

 この漆黒の無限に広大な宇宙空間のなか、チリのように微細な惑星に生命が誕生した。最新の科学の計算では生命体の誕生は1,000兆分の1の確率であるらしい。その地球と言う惑星で46億年もの時間を経て人類(知的生命体)が誕生し今、私たちが生きている・・この奇跡を人類はあらためて自覚する必要があるのではないだろうか。

 スティーブ・ジョブズ(アップルの創業者)は、今の世の中の価値観から言えば人が羨む大成功者であろうが、彼の「最後の言葉」で次のような意味のことを述べた。
「莫大な富を得たり、出世して人が羨む地位・名誉をつかんだり、多くの人が平伏す権力を握り莫大な資産を得たとしても、死を目前にした病床の上では何の意味もない」と。
 この宇宙・自然界の成り立ちからみると現状の世界の価値観の異常さ不健康さが吐露されているようである。私たちはこの地球がつくりだした『生命』の在り方に沿った環境と、それに相応しい社会を構築していくのが自然の在り方だろうし、その必要がある。
それが「自然のシステム」と人間の「脳と心のしくみ」に合致した行為ではなかろうか。そして、そこにしか真の意味での「幸福」はあり得ないのだろう。

 さて、人の一生(=人生)は「生活する(縁)」という面と、心をもった人間ならではの希望である「生きる(願)」という二つの局面がある。今の矛盾にみちた社会機構・社会情勢の中では、生活すること自体で大変なこともあろうが、「人はパンのみに生きるにあらず」と言われるように人間には何かを求めないではいれない脳のメカニズムがある。
 ヒトの「願い」はその人の生きている環境や社会情勢によってつくられ、身近な日々の願いから、時に地球規模の大きな願いと様々だが、潜在的な究極の願いは未だ人類が実現し得ていない絶対的幸福(心の進化=意識の進化)ではないだろうか。

 この「生活する」と「生きる」の両方を満足させる試みとして「パーマカルチャーの世界(実)」という曼陀羅絵図をつくってみた。
  ・生きて行くのに必要不可欠な(モノ)『環境デザイン』
  ・生きて行く為のヒトの行為の(コト)『ライフスタイルデザイン』
  ・そしてそれらの基盤をなす(ココロ)『コミュニティデザイン』
 の3本柱で、生きる意味(願)を叶えて行く関係性を表にしたものである。

 今までの先入観や思い込みを一度外し、「宇宙・自然界のシステム」と「人の脳のメカニズム」に添った在り方でこの世界をデザインしていこう。恐らく宇宙・自然界の意志(=地球(ガイア))もそれを望んでいることだろう。 ~次回に続く
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 08:42Comments(0)パーマカルチャーの世界

2015年05月08日

佐賀歴史街道で温故知新、地産地消

 以前のブログで焼鳥屋「あぶさん」のことを書いたが、先日その街道を歩く機会があった。
 メインの建物は旧古賀銀行で現在は佐賀市歴史民俗館になっている。


 昨年はこの街道の豪商の古民家をリフォームし新しく活用を提案するプロジェクトがあって現在はリフォームも完成し、旧久富家住宅はものづくりカフェ、写真館や工房などが入っている。

 正面:ファサード


 裏面:庭


 内部:カフェ

 旧森永家住宅は中庭をはさんで三棟建で、それぞれに機織りのお店、工芸品の店、和風喫茶が入っているお洒落な場所に変身していた。古民家は唯保存するよりこのように新しく活用したほうがいい。


 今回の目的は、佐賀で自然農や有機農業をされているグループ「げんきな大地」にお誘いを受けて会合に参加することになった。
 会場は同じくこの歴史街道にあるオーガニック製品の直売もやっているオーガニックカフェ「おひさま」。


 今秋にマルシェを開催したいとのことで、今後毎月打ち合わせをやっていくことになった。農や食について佐賀にも熱い人がいて嬉しく思った。
 食だけではなく生活全般にわたって永続可能なパーマカルチャーのライフスタイルの輪を広げたいと思った。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 06:36Comments(0)その他

2015年04月27日

コミュニティガーデン in 佐賀

 昨年末頃から高校時代の学友と構想を練ってきた市民貸農園キラキラ 
 学友の1人が持っている住宅街の土地200坪を提供してくれて、今春より始動し始めた。ハート


 1区画5坪の畑を12区画と食育菜園20坪。


 4月になって自縄張り、まず敷地に図面を基に縄を張る。
 元は田圃だったところを市街地の波が押し寄せ住宅地として区画整理されたところである。宅地用の埋め立ての砂利混じりの泥砂で土づくりからである。10cmほど天地替えして土や堆肥を入れる予定である。まず土づくりに3年はかかるだろう。汗
 作業をしていると、近所の人達が寄ってきて「何ができるのか」とよく尋ねられた。縄を貼ったので建物が出来るのかと思ったのであろう。


 「市民農園ですよ」と答えると安心したのか顔がほころぶ。なかには参加したいという人も出てきた。幸先良いスタートである。
 先日は近くで遊んでいた4人の子供たちが寄ってきて「手伝いたい」と言ってきた。嬉しいね。ニコニコ
 通っている小学校では食育菜園をやっているようで5年生が作って3年生にあげるとか・・なかなかいい取り組みを行っている学校もあるのだね。


 最近はやっと、畑っぽくなってきた。
 このコミュニティガーデンを通して楽しいコミュニティができると良いな~
 人が寄れば思わぬところから次のステップが生まれる。
 多様な人々を生かし合うコミュニティをつくっていきたい。


  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 11:26Comments(2)パーマカルチャーガーデン

2015年04月16日

待ちに待った春野菜の植え付けの時期

 家庭菜園2年目で立春の頃から土づくりをしてきた。普通の家庭の庭に畑を作ったが砂地で1年目はうまく野菜ができなかったが、今年は堆肥を少し多めに入れ寝かすこと2ヶ月だいぶん落ち着いてきたようだ。


 また、春分の頃から苗作りを始めた。旧暦に添って新月過ぎに葉菜類の種、上弦の月過ぎに果菜類の種、そして満月過ぎに根菜類の種を植えた。基本はプラグトレーか苗ポットに丁寧に植え付けていく。


 土が豊かになるまでは
 「ニンジンから宇宙へ」で有名な大分の赤嶺勝人さんの循環農法でやろうと思っている。
 春夏野菜の時期は:マメ科→葉菜類→果菜類→根菜類
 秋冬野菜の時期は:葉菜類→根菜類→葉菜類→葉菜類
と圃場を4区画に分けて、毎年植える野菜の種類を循環しながら土を豊かにしていく方法である。


 畑を4区画に分け日当たりの悪いところは日陰でも育つ野菜を植える予定だ。
 ミツバ、ミョウガ、ネギ、ホウレンソウ、コマツナ、レタス、キノコ等々


 家庭菜園は少量多品種が基本であるから野菜に関する知識が要求される。春夏野菜だけでも
 豆類5種類、葉菜類17種類、果菜類13種類、根菜類8種類を用意した。上手く育ってくれるといいのだが・・・・

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 19:14Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2015年01月27日

ライトと天心 ~ 自然との共生

 建築家の中で、私にとってもっとも魅力的な人はF・L・ライトである。建築はヴィジュアルで体験的であるから空間の作り方・在り方に世界を見るのである。


 ライトの建築で最も有名で人気があるのは「落水荘」(旧カウフマン邸)で、確かに素晴らしい建築であるが、南国好きな私にとって、最もフィットする建築は《タリアセン・ウエスト》である。


         左:落水荘   右:タリアセン・ウエスト(一部)

 パーマカルチャー的に言えば地産地消の材料でセルフビルドしたということになろうか、これは弟子たちと一緒につくった住居兼アトリエで、施工や材料は 荒々しいが、空間の構成や配置が繊細で素晴らしく、アリゾナの砂漠にしかり根付いている。オアシスとはこのような空間を言うのではないだろうか。実存感に満ち満ちている。

 クリエイティブな行為には、哲学がある。その建築家は何をめざし何をやろうとしているのかが重要で、彼の建築論は自然に学び自然を表現する有機的建築と言われ、今流の言い方では
自然との共生』である。

 ここに1世紀以上も前に書かれた岡倉天心の「茶の本」がある。ライトの弟子の一人であるラスムッセン氏は、死ぬ前にこれしか読めないと言われたら「茶の本」を選ぶと言うから並々ならぬ影響があるのだろう。この事を聞くまでは正直「茶の本」にあまり関心がなかったが、シンクロとはあるものでライトの本を読んだすぐ後に、NHK「100分で名著」の番組でこれが始まったのである。


 「茶の本」は 110年も前に書かれた本で、茶の作法とかの指南書ではなく。自然との共生を説いた先見の書といわれ、『日本文化論』を西洋社会に向けて紹介された天心の3部作の一つである。「茶」は中国の『老荘思想(道教)』+『禅』がルーツになっており、日本に入ってきて完成されたもので日本人の世界観・美意識が凝縮されたものある。天心が茶に見出したものは

 「相対性の認識」と「不完全性の美学」と言われる。
 
 
 表現者は自己を空にして、相手を呼び込み自由な発想を引き出し「自他一体」の境地に達する。

 この時代、日本は西洋の文明・文化(モダニズム)を取り入れることに国中が血眼になって燃え上がっていた時代であったが、天心はこの近代化には限界があると早々に見抜いて、日本の精神の奥底にある「自然との共生」に原点回帰を促したものである。今でこそ当たり前のことだが当時は彼の言葉に耳を傾ける人はそういなかった。

 20世紀の近代建築の巨匠はル・コルビュジェミース・ファン・デル・ローエそしてフランク・ロイド・ライトの3人とよく言われていたが、前者の2人は確かに20世紀の都市景観を造ってきたし、最も進歩的とも見なされたが、パーマカルチャー的視点で言えばこの建築論では21世紀以降は持続できないのではないだろうか。


 世界の人口が70億を突破し、地球環境の悪化が指摘され、世界を推進している近代文明の限界が指摘され、ローカリゼーションへの回帰、エコロジーが叫ばれている現在、そういう意味からもパーマカルチャー的「自然との共生」のF・L・ライトの建築がこれからの指針となるのではないだろうか。
 文明的にフライングしたものをスタート地点に戻すだけである。彼は建築家として偉大であるが、人間としても親愛の情に充つる偉大な人でもあった。   


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 08:02Comments(0)建築

2015年01月15日

NHK大河ドラマ~ 花燃ゆ

 今まで日本人や日本史にあまり関心が届いていなかったが、昨年萩に行き吉田松陰歴史館の展示を見た時に感じるものがあった。その時アナウンスがあったNHK大河ドラマ「花燃ゆ」がいよいよはじまった。
 主人公は4女の文(ふみ)でドラマとしては恋愛もあり、イケメンも揃え多くの人に見てもらいたいようである・・・


 時代背景は鎖国という徳川幕府が政権を握っていた時代で、終焉を迎えようとした幕末の激動の時代に松陰は生まれた。
 松陰がやろうとしたことは「尊皇攘夷」とか「国粋主義」等もあって倒幕に奔走し、今となってはどうかなという面もあるが、それでも強く我々を惹きつけるのは彼の「生き方」である。


 自分の事はほとんど顧みず、国(公=社会)のことを思い貪欲に学問を吸収し、激しい情熱で実践に移す姿に圧倒されるのだ。
 幕末にペリーに開国を迫られ、日本が占領され植民地化するのを危惧し、命をかけて戦った僅か30年の一生である。


 21世紀の現在の情況ではパーマカルチャー(永続可能な文化)的に言えば次のようなことが想定される。

【自然環境】地球生命圏を保全するためグローバリエーションからローカリゼーションへ転換すること。

【社会環境】格差社会を生み出す経済システムをなくし、人が人間らしく生きることのできる互恵・共生社会に転換すること。

【個人意識】我欲・対立をなくし、愛と調和の精神に転換すること。

 これらのコンセプトは様々な分野で随分言われてきたが、これらを実現する方法論が確立されてないので、なかなか草の根的に広がって行ってない面もある。インターネットやSNSが発達した今、こういう事を本気で思っている人達が連携し共にやって行ければと願う。
 政治家、役人や学者に任せてもなかなか進まない。誰もが生活に密着した方法が必要であろう。例えば・・・

 松陰先生曰く「草莽崛起(そうもうくっき)」・・・在野の人と共に、立ち上がれ!

 現在でも萩市の小学校では松陰先生の教えを毎朝朗唱するという。(其々の学年と学期ごとに全部で18の文章がある)。
 例えば1年の1学期は
   今日よりぞ 幼心を打ち捨てて
   人と成りにし 道を踏めかし

 と「自立」を促し、
 6年の1学期では
   体は私なり 心は公なり
   私を役(使うこと)して 公に殉う(したがう)者を大人と為し
   公を役して 私に殉う者を小人と為す
 と「公人として生きよ」と言っている。
 松陰先生はそれほど萩では慕われているようである。


 吉田松陰を知る上で「ぴあMOOK」はなかなか良いテキストになる。価格も¥580と手頃である。

 これから1年間大河ドラマ「花燃ゆ」を見ながらさらに自分をインスパイアーしたい。  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 10:48Comments(0)ジャパネスク

2015年01月13日

選挙制度について

 佐賀県知事選挙が終わった。4名の立候補者のうち自民党系の候補者が2名出て保守系は分裂したが、本命と言われた自民党系樋渡氏(得票率39.2%)が前半リードしたが、分裂しても結局同じ自民党系の山口氏(得票49.9%)が逆転当選した 。オスプレイや玄海原発の案件があったにも関わらず、地方は保守が悲しいほど圧倒的に強い。


 パーマカルチャー的にはグリーン革命を唱えるクリーンな島谷氏を押したが、結果は散々!8.9%の支持しか取れなかった。地元出身ではなく、組織もない人はどんなに良いマニフェストを掲げても無理のようだ。


 しかし、問題は「投票率」。先の衆院選と同じく投票率が半数を少し超えたくらいの過去最低で、民主主義の選挙とは言えないのではないだろうか。これでは新知事も結局県民の4分の1の支持しか得られていない計算となる。
 投票率は国政も県政も人口の減少と比例して下がり続けている。そろそろ選挙のやり方を見直す時期に来ているのではないだろうか。自分に降りかかる国や県の将来を決める重要なことなので、年寄りだけでなく若者もみんなが選挙に行く仕組みをみんなで考えましょう。投票に行かない理由は 

  ①私1人が投票に行っても行かなくても体勢は変わらない。
  ②立候補者が身近に感じられない。
  ③立候補者がどういう考えの持ち主かよく解らない。
  ④興味がない。

 他にも色々理由が考えられる。これを改善するには 

「出たい人」から「出したい人」への選挙制度の転換

 現在は出たい人が立候補するのが前提で、これが汚職に繋がったり、またシガラミガ出てきて地元や近親者に有利な施策を行うことに繋がる。
 利権に絡む制度は早々になくしたほうが良い。今の議員さんの中で吉田松陰みたいに「この国を良くしたい!」と無報酬でもやる位の気概をお持ちの方はどのくらいいるのでしょうか?

 出たい人ではなく、出したい人を選ぶのが良い方法ではないか。自分が出てもらいたい人であれば、当然関心を持ち投票率が挙がる。例えば・・・
  ①ノーベル賞や国民栄誉賞、紅白出場歌手等々を選ぶように、立候補者を選ぶ独立した「機関」を設け、そこで相応しい「立候補者」を選ぶ。
  ②国民投票で推薦する人たちを選ぶ。

 その他にもあろうが、これらの方法で定数の2倍位の候補者を選び選挙を行う。この場合選挙活動は行わない。マニフェストだけ報道機関が掲載する。選挙は金がかるし、候補者の供託金の負担や大変な選挙の活動も削減できる。
 
 いつの間にかよく解らない裁判員制度が出来たが、人を裁くとんでもなく重い決定を専門家でもない普通の国民から無作為に選んで強制任務に就かせるくらいなら、国会員制度をつくり議員にしたほうがよっぽど民意を表す決定ができるのではないだろうか?
 
 民主主義の根幹「最大多数の最大幸福」から『多数決』ということが物事を決定するときの大原則になっているが、これ以上の良い案がなかなか出てこないので、出てくるまでの次善策として提案したい。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 14:03Comments(0)その他

2014年09月14日

Everything has everything.

 今、私たちの自給菜園にはトウモロコシや大豆が元気よく育っている。7月に植えた種が成長してくれた。私がしたことは土を用意し種を植えただけである。たった一粒の種がこんなにも豊かな恵みを与えてくれることにいつも感動する。


 建築家 原広司は1970年代~1990年代大学を退官するまで、世界中の集落を調査して巡り歩いた。
 近代建築(モダニズム)が地域の豊かな風土や歴史に無関心で、世界中どこでも成り立つ均質な空間を目指し、故に膨大なエネルギーを使う建築の作り方が当たり前の御時勢で、『alernative(代案)』を目指す手掛かりとして、人類の黎明期から自然発生して来た世界の集落を巡り、そこに息づく『システム』を発見し体系化しようとまとめた本が
 「集落の教え100」である。鋭い観点であるが大変な作業である。


 事実、彼は自らこの教えに基づき、数多くの建築を設計している。  例えば那覇市立城西小学校、ヤマト・インターナショナル、飯田市美術博物館、新梅田シティ、JR京都駅等々新しい地平を開いた素晴らしい触発的な建築ばかりである。

  写真はヤマトインターナショナル外観

 集落の教えの5番目に「すべてのものにすべてがある」
 ~therefore even in the smallest object you can express the world.
 万能細胞を持ち出すまでもなく一つの細胞が変化して一本のトウモロコシになったり、一人の人間になっていったり・・・人間の頭ではわけのわからない生命体に隠された「システム」である。これを仏教では「空即是色」という。
 ウパニシャッド哲学の「梵我一如」やアナクサゴラスからライプニッツのモナドに至る西洋の哲学に流れる世界把握モデルである。
 
 西アフリカのTenadoブルキナファソ集落の一棟の住宅が一つの集落であるような複雑さと豊かな要素を持つ事例として取り上げられた。



 町に住んで農(自然)から離れると、ホリスティック(全体的)な思考から遠ざかる。農的暮らしに立ち返れば、宇宙自然界の大きさ不思議さが体感でき、自分の考えなどたいしたことは無いことが見えてくる。人としての基礎教育に「農」は欠かせない。
 農をビジネスではなく、生き方としてとらえれば‘すべてのものに、すべてがある’ヨロメクほどワンダーな人生になる。ビジネスでは苦しさが先に立ち、心までも吹き荒ぶ。
 自然農で名を知られた川口由一さんは「農的暮らし」が基本にあれば、最低食べることは保障されるので、自分に向いていることを職業として社会に貢献することができる。自分の暮らしを変えることで、社会がよくなる。と述べられている。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 13:31Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2014年09月12日

Come back ! ― ホモ・サピエンス

 20世紀に入り、人類は産業革命により新たな局面に入った。この革命は生産物の機械化が主題である。
 人間より遥かに効率的に物の生産が増大する機械を発明し「大量生産」そしてその結果の「大量消費」を人類にもたらした。これにより生活は画期的に「快適」に「便利」にはなった。
 多くの国や人々が羨望の眼で受け入れ貿易、取引、ビジネスが盛んになり世界中に広がった。共産主義の中国でさえ受け入れ、いまだ開発が進んでない国も多々あるがグローバル経済の進行は止まりそうもない。
 
 しかし、最近気になるデーターを目にした。「自殺率」である。日本は自殺者が年間に3万人と聞く。陰湿で凶悪な犯罪が増えたといわれる昨今であるが、他殺による死亡者数は1995年のピーク時の2,119人から徐々に減少し、昨年は僅かと言ってはヒンシュクモノだが341人で年々減ってきている。
 それに比べて自殺者は1998年の金融ビッグバンの時、急に増えて現在まで3万人と高止まりである。なんと《他殺:自殺=1:88》である。希望が見いだせない等いろいろ理由はあるのだろうが、よくもこんなに自分で自分を殺す人が多いのに驚く。


 棒グラフが他殺者数、折れ線グラフの(上のピンク)が自殺者数

 他殺の減少が何を意味するか色々あると思うが、自殺に関しては世界の数字を見ていると見当がついてくる。
 世界の国の自殺率(10万人に対して)

 ・第1位は韓国で断トツの28.9人である。
 ・次にロシア19.5人。
 ・そして日本の18.5人、
 ・第4位はフランスの12.3人、
 ・第5位はアメリカ合衆国の12.1人だそうである。

 他にも要因はあるのだろうが、ここから読み取れるのは、早急な近代化と金融資本主義経済による「格差社会」の出現にあると思われる。資本主義経済は格差の増大に行きつく。
 アメリカ合衆国では90%の資産を20%の人が所有しているそうである。例えて言えば、5人いて1人が90万円使え、10万円を残りの4人で分け合う計算になる。現行の法律に合致している制度なので取り締まられることは無いが、人類は変な法律・条令・取決め等々を作りだしたものだ。それにしても異常な事態である。

 ホモ:サピエンスとは知恵ある人・賢い人という意味なのだが、倉本聰さんが言われたように、ホモ・サスペンス(ハラハラ・ドキドキ不安を誘う奇怪な人)と定義を変えなければいけないようである。果たして人類はホモ・サピエンスにカムバックできるのだろうか。

 そして、その手立ては?・・・つづく
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 09:11Comments(0)生き方・考え方

2014年09月02日

薬草・ハーブ園 & スパイラルガーデン

 佐賀市の山手の金立公園、そこに「徐福長寿館」というかなり立派な施設がある。


 徐福は2,200年前、秦の始皇帝の命により不老不死の薬を求めて日本を訪れ、稲作を始め様々な文化を伝えたとされる人物で、日本には徐福伝説地が30か所以上あるが、佐賀市は徐福村のある中国江蘇省連運港市と友好都市を締結しているそうで、かなり本気モードである。
 徐福が訪れて長寿の薬草を探したという伝説にあやかって、ここには「薬用植物園」が付設されている。


 面積3万ha、500種、5万本の薬草が植栽されている。



 徐福が見つけたフロフキは漢方薬の材料として珍重されている。不老不死がなまってフロフキになったとかびっくり!!・・・フロフキ大根は腹痛・頭痛・咳止め等に効果があり美味しい♪赤



 ここには、薬草のほか、ハーブも栽培されている。



 最近、自宅庭にハーブスパイラルガーデンを造った。通常は20~30cmの玉石で作るが、石が無く、ブロックは沢山あったので、それを活用した。1辺2mの真四角のスパイラルである。世界初びっくり!


 何故わざわざややこしいガーデンを造るのか?・・真ん中あたりは1mの高さで徐々に0mに最後は池になる。高いところの土壌は乾燥気味、それが下がるにつれ湿潤になっていく。また、南に面するところは日照はよいが、北側は日陰となり、僅か1坪の中に様々な微気象が生じ、その場所に合ったハーブを植えることで、ハーブの曼荼羅世界が出来上がるのだ。パーマカルチャーの原則をよく表しているガーデンである。

 季節柄ハーブは少なめだが半分ほどは植えることができた。
 パーマカルチャーでは、ハーブガーデンはキッチンのすぐ傍につくる。料理をしながら必要なモノをすぐに採って料理に添えられるからである。我が家も勝手口のそばに造った。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 13:36Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2014年09月01日

ちょっとばかしハーブガーデン

 ハーブガーデンを自宅につくって少しばかりハーブにはまっている。
 ハーブは女性に人気がある。香りを楽しみ、身体に薬効効果があるという理由によるものだろう。
 今年の夏最後の日曜日ともあって、三瀬村のテーマパークどんぐり村は満杯状態であった。その混雑した傍を通って少し登ったところに、ハーブガーデンミツセファーム」がある。


 ログハウスのお店にはレストラン、ショップがある。
 まず、所望するハーブの苗を買ったが、時期外れで苗は少な目。来年の春に期待しよう。


 中に入るとハーブティーをはじめ、石鹸、スパイスソルト、エッセンシャルオイル等色々なハーブ商品が置いてあり、お店全体がハーブの香りに満ちていた。


 その後、レストラン「プロバンスの丘」へ、日曜日ともあってほぼ満杯、パスタランチを頼んだ。全てにハーブが使用されている。香りを楽しむのもいいね!



 レストランの裏手にはハーブ園、数百種類のハーブを無農薬栽培しているそうである。


 元々草食系の我が国ではハーブは少ない。アサツキ、サンショウ、シソ、ショウガ、セリ、ミツバ、ヨモギ等々ハーブと言われるが、薬草や薬味としての認識が強い。
 多くは輸入物で種類は豊富にある。欧米等肉食系の人達はハーブを好んで使っているようだ。

 パーマカルチャーの菜園には必ずあるハーブスパイラル。これから自宅でもハーブガーデンを造ったことだし、極力ハーブを使った料理を楽しもう。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 13:20Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2014年08月25日

欲求と欲望と・・

 「欲求」は生きもの全てに共通する生命の維持・保存に必要な「モノ・コト」を欲することで良いも悪いもない。無いと死んでしまう。しかし、人間の場合は精神的、文化的なことも含まれるので少し複雑だが、これとて自然の営みで、元気に生きていくために必要なことである。


 それに対して、「欲望」は人間だけに備わっていて「モノ・コト」は足りているのに決して満足しないで、さらに欲しがると言う意味で使われている。


 人はもっともっとという欲望があるから競争が起こり、勝ち組が支配する社会になっている。ヒトより少しでも先んじようと摩擦が起こったり、優越感や劣等感が交差したり、又なかなか目的を達成できず悩んだり苛立ったり、とかく煩悩の源泉のように言われている。


 最近「足るを知る」ということが強調されだした。パーマカルチャーの仲間たちは質素だが豊かな自然と共に歩む生活に入っている人が多い。


 しかし、これに気付き行動に出る人は極々少数派で、大半の人は世間の常識的な価値観・流行にドップリ浸った挙句悩みまくって出口が見えない。地球環境が悪化していると聞いても欲望は抑えられないし、質素清貧もあり得ない。
 こうなればこの道を進み続けるか、一念発起宗教の道にでも入って修行し成仏するか聖人君主にでもなるしか道はないのだろうか。少し考え方を変えてみたらどうか。欲望を抑えようとするから大変なのである。
 逆にもっともっと欲望を大きくできないか・・
 自分だけが得することや自分の家族だけとか、自分の会社だけとか、自分の国だけとか範囲の狭い、小さな目先のことだけに囲うからケチ臭く、悍ましくなるのだ。

  小欲より大欲へ、 小愛より大愛へ

 パーマカルチャー提唱者のビル・モリソンはかつてこう言った。
「パーマカルチャーの究極の目的は世界中を食べられる森にすることだ!」と


 全ての人が自分の食べるもの、自分が使うエネルギー等自給自活するライフスタイルに転換すれば世界はすぐに食べられる森になる。


 自然は豊かでとても自分だけでは食べきれないくらいの恵みがある。


 お金はヒトにあげたくないが、採れた野菜は何故かヒトにあげたくなる。黙っていても「互恵・共生」の優しい社会は出来上がる。

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 15:10Comments(0)生き方・考え方

2014年08月18日

徐福サイクリングロード

 先日、初めて徐福(じょふく)サイクリングロードを走った。片道自転車で30分の程よい行程である。


 紀元前2,200年頃、秦の始皇帝に不老長寿の薬草を探す命を受けた徐福一行は日本に渡って来た。日本のどこに着いたかは諸説多いが、その中の一つに佐賀の諸富町(もろどみちょう)がある。佐賀の東南部で筑後川に面する場所である。中国や韓国から一番近い北九州は可能性は高い。


 旧国鉄の佐賀駅から福岡の瀬高町まで通っていたローカル線で30年程前に廃線になった全長24kmの跡地の一部5kmをサイクリングロードにしたものである。


 サイクリングロード終点には昇開橋があり筑後川を渡る船のために橋の一部が昇降する日本でも珍しい橋である。


 サイクリングロードは両側に桜の木が植えてあり木立のトンネルになっている。佐賀平野は広く、地平線まで見渡せる田圃の中を走るのは気分が良い。次回は桜の咲くころに走ってみよう。  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 12:25Comments(0)その他

2014年08月16日

菜園より「残暑お見舞い申し上げます!」

 旧盆も終わりご先祖さまはまた、あの世に戻って行かれました。この頃から、季節もだんだんと秋の気配が感じては来ますが、親愛なる読者のみなさま

    残暑お見舞い申し上げます汗

 今年の夏は佐賀は雨が多く、台風の影響もあり涼しくて、ある意味快適である。菜園に植えたお野菜たちも今のところ順調に育っている。
 ゆくゆくは自然農法でやりたいが、残念ながら土壌がまだそのような自然状態になっていないので、ここ数年は有機栽培でやって行こうと思っている。
 「不耕起」・「無農薬」・「無肥料」・「無除草」(草や虫を敵としない)
 農家の人には一笑に付せられるだろうが、なんと魅力的な農法だろう。でも、やはりそう簡単には行かないのである。

 「」と共に大切なものは「」である。この2つが理想状態になれば誰でも立派な野菜が育てられるが、種苗店巡りをしてもF1種がほとんどで、固定種や在来種はほとんど置いてない。
 先日、固定種で有名な「野口のたね」で買ったトウモロコシ、大豆をまず植えた。これは木村秋則さんご推薦の方法で、最初に直根型のイネ科を植えると土壌のデトックスになり、マメ科を植えると土に窒素を固定してくれるそうでトライした。―(沖縄の自然循環農法で人気のある玉栄さんは「兎に角やってみることだ!」と言われた。)


夏の日差しをセーブするブドウも順調に根付いている。



お盆も過ぎて、そろそろ秋冬野菜の苗づくりの時期だ。
     みなさん御機嫌ようキラキラ 
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 07:57Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2014年08月15日

吉田松陰の松下村塾

 来年のNHK大河ドラマは吉田松陰の妹「文(ふみ)」が主人公となる「花燃ゆ」に決まったようである。


 先々月、日本でまだ行ったことのない最後の県、吉田松陰の生まれ育った山口県萩市を旅した。日本海に面した小さな町で人口は5万人ほど。ラジオ、TV、電話、インターネット等ない幕末の時代にこんな地方の町に日本を動かす人間がよくこれだけ出たものだと感心した。


 松下村塾は誰でも知っている有名な私塾だが、叔父が創設したのを吉田松陰が僅か27歳の時に継いだ。この時の門下生が久高玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋・・・と凄い人物が揃っている。


 吉田松陰は2年後の29歳で処刑されたので、わずか1~2年程しかこの塾をやっていないのだが、日本人なら誰でも知っているほど有名な塾になってしまったのである。

 今回一番印象に残ったことは、自分の損得ではなく、日本の将来を思って死をも恐れず改革をなさんとする熱い情熱をこの頃の志士達が持っていたということである。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 14:11Comments(0)その他

2014年08月10日

夢を叶える学校

 好きなシリーズ本の中の一つにトータルヘルスデザインの発行している。「バンクシアブック」がある。60~80ページの薄い冊子本なのでとても読みやすい。少し以前流行った「ホ・オポノポノ」も日本では最初にこのシリーズで刊行されたものある。

 ここの創業者の近藤洋一さんの書くコメントがとても心地よく、私にはとても共鳴するものがある。スピリチュアルな面もあるが、シッカリ理性に裏打ちされた説得力のある方である。バンクシアブックの命名も素晴らしい。(詳しく知りたい方は下記サイトを参照)

http://www.totalhealthdesign.jp/banksia/books/

 この国は世界でトップクラスの経済大国である。しかし、最も大切な「夢」がない。何を希望に生きて行けばいいのか、キッカケさえつかめない人が多くいる。貧しかった時代より楽しくないように見える。夢があってもチンケナ趣味の延長のようなものしか見いだせない。社会が悪い、政治が悪い、とぼやくことはあってもそれで何をするでもなし・・・
 そんな世情の中で、このシリーズの最近版に「夢を叶える学校」がある。



 フツーの主婦があることをキッカケに本と出会いそこに書いてある事をやりだしたら、ここから次々とミラクルが起きて、毎日が楽しい日々となり夢が次々と叶い、あろうことか会社を興すまでになったそうである。やはり、人は愉快に楽しくやることで、他の人を引きつけ新しい人生が開けてくる典型的な例だろう。

 さて、このフツーの主婦は何をやってみたのだろう。ここに書いてある一番重要なことの一つに「人を批判しない」がある。この中で彼女も書いているが、この言葉を意識しだしたら・・
 心の中で普段いかに流れ作業的に批判しているか、ってことに気付いたそうである。

「私ってめちゃめちゃ自分のモノサシで、人をみてるやん!」ってビックリしました!一日のほとんどの時間、「批判」の嵐です!
 常に「批判」するから、自由が全然ないんです。だから喜びもない。
「人を批判する」のをやめるってことは、「自分を批判する」のもやめることになるんです。

 このほかにも色々書いてあるが、あっという間に一気に読める内容で一読をお勧めしておきましょう。

 パーマカルチャーでは「コミュニティの構築」は必須の項目であり、そのための知識やハウツーも大切であるが、「」を持つことが最も大切なことなのではないでしょうか。
 
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 12:56Comments(0)生き方・考え方