てぃーだブログ › パ―マカルチャー  in the age of “AI・BI・CI”

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Posted by TI-DA at

2014年08月07日

人間関係はセミラティス

 人間関係はとかく面倒で、職場でも仕事より難しいのが人間関係だとよく言われる。以前就活の面接でも一番重要視されるのがコミュニケーション力だとアンケートにあった。それほど会社では悩みが多いみたいだ。


 
 国家を持ち出すまでもなく学校でも職場でも人が集まると組織はツリー構造(イラストの左側)になっている。
現代のほとんどの人達は、悲しいかなこのような組織で消費する時間があまりにも多い生活を送っているのである。

 しかし、個人個人の交友関係では利害関係があまりないためこのようなツリー構造にはならないで、セミラティス構造(イラストの右側)になっている。Facebookをやるとこの辺が面白い。

 社会的に地位が高い人、権威のある人、財産を沢山持っている人、知識の多い人、云々ある人ない人が皆横一列の同列の人になる。

 先日ある人から面白い話を聴いた。その人が強く望むことを実現するには8代先の人を探せば成就するそうだ。
 
 例えば女優の「吉永小百合に逢いたいラブ!」ならば、多くの人に尋ね、小さなキッカケを知っている人がいたならその先を次々追って行けば8代先に吉永小百合に合わせてくれる人に出会えるそうである。

 普通は1代~2代先位でやめてしまうところだが、その望みが大きければ8代先までやることだそうである。

 人間関係はセミラティス構造である。この辺を知ってFacebookを使えば「パーマカルチャーな社会」(永続可能で物も心も満ち溢れた社会)の実現もそう遠い話ではないのかも知れない。

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 14:10Comments(0)生き方・考え方

2013年11月21日

バイオシェルター そして リビングマシン

 J.トッド氏が妻のナンシー・J・トッドと書いた「バイオシェルター」は1988年に工作舎から出版された本だ。副題は「エコロジカルな環境デザインをもとめて」その頃はモダンデザインの情報に埋もれて建築設計活動していたが、オルタナティブな考え方を求めていた時だったので、興奮して読んだことを思い出す。
 私のパーマカルチャーへのルーツはこの本かも知れない。本の帯に「21世紀の居住環境はどうあるべきか?-B・フラー、G・ベイトソンらが歴史的一書と絶賛」・・とある。
 当時はフラーやベイトソン、一連の工作舎の本、ニューサイエンス等々に強い関心を持っていた。訳者の芹沢高志もB・フラーの「宇宙船地球号 操縦マニュアル」の中にフラーの年譜や注釈を書いていて本屋で見た瞬間買ってしまった。

 私は小学生の頃、隣に建っていた住宅の工事現場を見に行くのが好きで、その頃より住宅プランを描いていたりして建築家になりたいと思っていた。
 20歳の頃1967年モントリオール万博の「アメリカ館」設計B・フラージオデシックドームに魅せられた。直径76mの透明の球体の中に都市が出現していた。彼はただの技術者ではなく、「ワールドゲーム」にもみられるように地球そのものを「豊かな居住空間」が出来るようにデザイン革命を提唱した建築家でもあり、思想家、発明家、詩人・・とマルチな才能の持ち主で20世紀のダヴィンチとも言われている。

 そのフラーに大きな影響を受けたJ・トッド夫妻が1969年に起こした研究機関が「ニューアルケミー研究所」。場所はUSAのマサチューセッツ州ボストンの東岸にあるケープゴット岬で、そこでの成果を表した本が「バイオシェルター」である。
 パーマカルチャーを知る遥か以前に出会った生物学を取り込んだエコロジカルな環境デザインを目指した本であった。夫J・トッドは海洋生物学者、妻ナンシーはパラダイム論の編集者で
「人間と生物が共生するためのコミュニティデザイン」
「農業と文化を融合する環境デザイン」 を目指した。本のコンテンツを掲げると。

  第1章:バイオシェルターへの道
  第2章:バイオロジカル・デザインの指針
  第3章:コミュニティの再デザイン
  第4章:ガイアと農業

 パーマカルチャーとほぼダブル内容である。パーマカルチャーを目指す人はこのコンテンツを見ただけで読みたくなるのではないだろうか?
 ビル・モリソンが「パーマカルチャー」を提唱した時期とほぼ重なり、この頃地球環境の異変に気付いた多くの学者や、感性の鋭い人達の意識が永続可能な地球環境・地域環境を再デザインしなければという方向に舵を切っている。

 その後J・トッド氏は21世紀に入って、次なるミッションに向かっていた。2009年7月オメガ・センター「Omega-Center for Sustainable Living(OCSL)」での「リビングマシン」と言われる『Eco-Machines』というシステムである。

 この建物の中に「水と植物、バクテリア、藻、カタツムリ、、菌類など」を巧みに組合せ、人間の排泄物や汚水を全て浄化するシステムを組み込んであり、全エネルギーを太陽光発電システムでまかない、草屋根や自動換気システム、地熱を活用してクールチューブ・ホットチューブ。環境に配慮した建築素材を使用し総合的な持続可能な建物としてデザインされた。

 まだ、これに関して詳しい情報はあまり無いのだが、本やサイトで詳しいことが解ることを期待しよう。

 もう少し知りたい方は下記のサイトが参照できます。

 https://www.eomega.org/omega-in-action/key-initiatives/omega-center-for-sustainable-living
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 13:04Comments(0)建築

2013年11月12日

巨富を築く13の条件

 パーマカルチャリストにとっては少し刺激的なタイトルかも知れないが、 典型的なアメリカンドリームを目指す人のバイブルとも言われる本で、知っている人も多いのではないだろうか。起業家や営業をやっている人には今でも多く読まれている。
 著者のナポレオン・ヒルは当時巨万の富を得た鉄鋼王A・カーネギーに会う機会を得て、その後多くの成功者や大富豪にインタビューして「巨富を築くノウハウ」を本にまとめたもので80年以上も前に書かれ累計3,000万部以上売れた本である。
 私にとってはとても懐かしい響きが残るこのフレーズである。この本に出会ったのは、短期間ではあったが、バイトでやったセールスの仕事の会社で紹介を受けた時のことで、もう45年も前の話である。当時は熱心に読んだのを思い出す。
 1970年大阪では万博が開かれ、高度経済成長の波に乗って、団塊世代と言われる人達は事業での成功者を夢見たり、「末は博士か大臣か」という立身出世を目指す空気の中で育った。

 左が最新版、右は私の持っている当時の本で、各ページの周りは1cm幅で周囲が茶色に経年変化してしまった。ちなみにコンテンツを掲載すれば、[( )内は45年前の目次]

1、 願望(欲望)・・・・・・・・・燃えるがごとき熱意と願望
2、 信念 ・・・・・・・・・・・・・・心にある積極的な心構えを奮い立たせる
3、 深層自己説得(自己暗示)・・・自分は出来ると繰り返し心に刻む
4、 知識(特殊知識の活用)・・・・・知識は体系化して活用し組織化する
5、 創造力(創造心)・・・・・大いに使うことにより機能も敏感になり磨きがかかる
6、 計画(組織だった計画)・・自分一人の経験、知識、才能だけでは難しい
7、 決断力(決断)・・・・・・・・・・失敗の原因のトップは決断力の欠如
8、 忍耐力(ねばり根性)・・・・どんな障害にもめげずやり通す忍耐力が不可欠
9、 マスターマインド(マスターマインドの底力)・・・・協力者集団をつくる
10、性衝動(性転換の神秘性)・・・・性エネルギーは独創的想像力の活力源
11、潜在意識・・・・・・・・積極的な感情で心を占める
12、頭脳・・・・・・・・・・・・精神を集中させている時に機能する
13、インスピレーション(第六感)・・原理をマスターすれば活用できるようになる

詳しいことは下記のサイトを参照
http://www.cp-i.com/image/book-summary/kyohuwokizuku13nojouken.html

 インタビューに応じた500人ほどの成功者を分析した結果出された共通項である。成功する為には以上の13の条件をマスターする必要があると解説されている。
 しかし、考えてみるとこの著作を金儲けや、立身出世などの「私利私欲」のみに使うのはもったいないような気がしてきた。
 これは目的を達成する方法・手段である。例えばナイフのように道具は使い様で役に立つこともあれば、凶器になることもある。

使い方を間違えないことである。

 パーマカルチャーは地球全体の環境の健全化や、人々が競争して多くの負け組をつくる疲れ果てる経済活動(この本の目的)から抜け出し、自由・平等で平和な社会を築く「公利公欲」のための活動である。


 パーマカルチャリストは巨富を築くなどと考えている人はいない、最初に「巨富を築く・・・」とあるので、ほとんど読まれない本なのだが、人類の知恵として読んでみれば活用できるかも知れない。
 パーマカルチャーの普及にもナポレオン・ヒルが編み出した13の方法は適用できるのではないか、人々の為、社会の為に成し遂げるために活動する人達は必然的にこのようなマインドになっているのではないか。例えば・・・・・
 カント、ラッセル、ガンジー、シュバイツアー、ナイチンゲール、マザーテレサ、山岸巳、ビルモリソン・・・



     「地球への配慮」
    「人々への配慮」
    「余剰物の分配」

 そういう意味で、パーマカルチャーな世界を“この世で”実現したいと考えている方々は、この画期的なミリオンセラーの本を一度読んでみては如何だろうか。

  今の自分の課題が何であるか発見できるのかも知れない。

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 12:33Comments(0)その他

2013年10月04日

対馬・古民家再生塾①

 今年の6月から毎月第4土・日曜日に「古民家再生塾」が開催されている。来年の3月までの全10回のシリーズである。
 主催者は「対馬島おこし協働体」、どの地方も人口が年々減っていて、御多分に漏れずこの島もそうである。そこでこの島を盛り上げようとこのプロジェクトは立ち上がった。


 第1回の講座は『再生塾の概要』をPCCJの建築担当講師でもある建築家の山田さんが担当した。只今「里山長屋をたのしむ」という本を出されている。これから世界は大きくローカリゼーションに向かうと予想されているが、その時のオルターネーティブな暮らし方のヒントになる本である。
 このような一連の動きは一見昔に回帰するように取られがちだが、実は時代を先取りした最先端の地球生活なのである。この塾の方向とも一致しているので一読をお勧めする。


 
 おりしも、沖縄から佐賀に戻ってきたピッタシのタイミングで、山田さんから引き継いで、第2回目以降の講師をすることになった。私達が暮らしている場所を持続可能(パーマカルチャー)な環境にして行くため、生活空間のあらゆるところを「循環型」に再生して行く塾である。
 これまで4回開催されたが、スタッフも含め毎回20名~30名の参加者でにぎやかに楽しく行われている。


 場所は対馬の北側にある上県町志多留というところで、110年程前に建てられた旧阿部邸という古民家がワークショップを実践する場である。
 古民家と言うだけあって、大きな柱や梁が惜しげもなく使われていて日本の風土と当時の生活様式に合った造りの、存在感ある佇まいである。


 「住まいは夏を旨とする」とあるが、文明化された現代人にとっては冬の寒さは耐え難いものであろう。そこで温熱環境の整備は急がれたが、トイレが使用不能とあってまずこちらから取り掛かることとなった。
 そこで7月のテーマは「物質循環」。その中で、私たちの生命線である「食」についてワークショップを行った。
 循環の原則は「地産地消」そして「持ち込まない、持ち出さない」である、食べた後の排泄物をどう処理するのか、水洗で流し、薬で処理して海に放出して知らん顔するのではなく、自分の畑に入れて食物の循環を考えてみる。
 具体的にはコンポスト・トイレの制作である。


 コンポストトイレの原理は液体(小便)と固体(大便)を分けることにある。昔の「汲み取り便所」は分けないで一緒にしていたため、悪臭がきつく不潔感もあって処理しにくかったのであるが、「分別すれば資源」の言葉通り、小便は「液肥」に、大便は「堆肥」に姿を変えるのである。
 トイレは畳1.5帖大のゆったりしたスペースで壁は土壁にして、部分的にワインボトル等を埋め込んである。


 土壁は下地を小舞竹で組み、粘性のある赤土に藁を刻んで繋ぎ材として入れ、練り合わせる。このワークショップは子供たちも喜んだ。


 1か月~2か月保存すると発酵し、粘性が高まったところで、壁塗りである。
便座は市販のものを購入して、床を一段高くしたところに据え付ける。すぐその下に大便受け、その下に小便受けの装置を設ける。
 これらは、新しく購入するのではなく、今あるものを使うブリコラージュ(器用仕事)でポリバケツやステンレス製のフルイ、不要になったステンレスの流しなどを転用した。


 小便は他の雑排水と一緒にして畑に導入し、素焼きの浸透管で地中に滲ませ、土壌の微生物に浄化してもらう『毛管浸潤トレンチ』で、野菜の水やりを兼ねる方式を採用した。


 本日はここまで。続きは次回、次々回・・・・・  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 19:16Comments(0)建築

2013年09月24日

対立なし、妥協なし

 これは、NPO法人「沖縄パーマカルチャー・ネットワーク」の現在の理事長の宜保伸さんから聴いた言葉だ。(今年の4月、私が沖縄を離れることになった時、理事長を引き継いでいただいた)

 まさしく対立なしの言葉通りの方で、とてもフレンドリーでいつもニコニコ笑顔が絶えない。
 6年前沖縄に移住した時に、最初に訪ねた人である。また、偶然にも「沖縄スローフード協会」でも出合い、それ以来親しくお付き合いして戴いている。
 会いに行ったキッカケは「沖縄ロハス」という本に「ウチナー・パーマカルチャー」の記事を読んでいたからである。名護でランドシンフォニ―という広い3,000坪の敷地で、マイペースでいろんなものを作っておられた。


「対立なし、妥協なし」
 この言葉を聞いた時は「なるほどなー」と思った。対立はしないが、妥協もしない。素晴らしスタンスである。
 妥協はしないと言えば少し頑固そうだが、地方や田舎では、新しい試みをすれば、周りの人達にいろんなことを云われる。ましてや横文字の訳の解らない言葉であり、説明も難しい。
 しかし、地域の人たちと仲悪くなっては窮屈である。その時に思われたことではないかと推測している。

 さて、この本は2006年に出版されたものだが、読んでない人に少しこの記事の紹介すれば、
 宜保さんは総合レンタル業の会社に長年勤めていたので、会社等で不要になった土木建設機械やイベント用品に到るまでいろいろな廃棄物を広大な敷地に保存しながら様々なものを作っている。一例をあげると

 ・立っても車いすでも使えるレイズドベットのレンタルガーデン
 ・木造の屋外水洗トイレ
 ・輸送用の海上コンテナ40ft 2基は住まい
 ・乾燥機のドラムを赤く塗った郵便受
 ・小さなコンテナは畑用の水まきに使う貯水槽
 ・燻製を作る時の鉄釜
その他
 ・塩づくりや炭づくり
 ・酵素ジュースや沖縄の保存食のスーチカづくり等いろんなものに挑戦する。


 PCCJ(パーマカルチャーセンタージャパン)主催のパーマカルチャー・ツアーが以前は年に2回催されていた。
 ・1月のオーストラリア・ニュージーランドPCツアー、
 ・8月のカナダ・北米のPCツアー
 パーマカルチャー・コウハウジングやエコビレッジ・・・どこも美しい!そして住んでいるい人達のフレンドリーさはさすがパーマカルチャーである。行く価値充分にある。
 その両方ともご夫婦揃って行っておられ、カナダのエコビレッジでヒントになった6角形をしたコテージをウエルカムキッチンとしてセルフビルドされている。宜保さんは知り合いも多く、いつもキッチンは賑わっている。


 また、最近では道路の反対側の500坪の敷地にお友達の方が20坪ほどの木造のコテージを、材料も手間も全てボランティアで作ってくれたそうである。
 宜保さんはブラジルに行くのが夢で、近くにある名桜大学の生涯教育でポルトガル語を受講されている。そこで若い学生と盛んに交流されて彼等の集まる場所としても使われているようである。近いうちには、われらが「OPeN café」としても使ってもいいよと聞いている。

まるで「ブリコラージュ・ギボ・ランド」である。

「対立なし、妥協なし」の成果であろう。

みなさんも名護にあるランドシンフォニーに一度は訪れて、
NPO法人 沖縄パーマカルチャー・ネットワーク」新理事長の宜保さんを、みなさん応援してくださいね~!
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 17:37Comments(0)その他

2013年09月21日

思いと事実の分離  ~ 多様性の承認

 人類は700万年程前に、ジャングルを離れあるいは離される事件が発生しサバンナに降り立った時、霊長類から分化し、人類として歩み始めた。


 幸か不幸かは解らないが、そのことにより人類は、「二足歩行」→「自由になった手(道具の使用)」と「言語の発達」→「頭脳の発達」→「想像力」等獲得した。これが文化・文明を生み出し歴史を重ねて現代の空間・社会をかたちづくっている。


 このこと自体は感動的で素晴らしく、われわれの御先祖様達に感謝したくなる奇跡的進化である。

 しかし、良い事ばかりではないようで、人はその発達した頭脳により、いつも頭の中は忙しく、ひと時も休むことはなく思いを張り巡らしている。これが煩悩(苦悩)を生み出す。


 また、人の遺伝子DNAはA・G・T・Cの4種類の塩基配列の約30億の組合せで人をデザインしているのだが、この内の300万カ所(1/1000)に人それぞれ違いがあり、これが人の個性をつくっているようである。


 このように人はもって生まれた外見やキャラクターにも違いがあり、それぞれ育った環境、風土や人的関係、たまたま得た知識・情報、経験等に全て違いがあり、当り前のことながら同じ人はいない。全ての人は違う感性、考え方、価値観を有していて、到底他人には解らないばかりか、自分でも自分のことがよく解らないことが沢山ある。

 一つの事象に対しての印象、感想を100人に聴けば、100通りの異なった応答が返ってくる。
「あたりまえじゃん!」と言いながら、日常の生活の中ではなかなかこれが認めきれない。

 似たような意見だと無防備に賛同したり、違う意見を言われると、拒絶したり、腹を立てることもしばしばある。これは自分の意見が何となく「当り前」「普通」「正しい」と思っているためだろう。


 私達は、判断の材料となる情報を五感(目・耳・舌・鼻・肌)で受容している。第六感(直観)もあるが、これらから得た材料で自分の「観念」を構築し、価値判断を行っている。
 なかでも視覚系と聴覚系で取得したものが最も多くの情報となっている。しかも、視覚は可視光線の狭い範囲でしか知覚できない限定的なもので、聴覚にしても耳の可聴範囲の狭い音域で、しかも理解可能な言語に限られる。


 そんな中で判断をしているのだから、真理に近づくのは容易なことではない。聖書の言葉を借りれば「らくだが針の穴を通る」より難しい。

 
 前置きが少々長くなってしまったが、このような有様だから、いろいろな事象・事物に対して自分が「思うこと」と「事実や真理」とは分けて考えることが大変重要になる。

        『思いと事実の分離』 

 自分が思うことや考えることは完全ではないという謙虚な態度が、他の人の意見を大切にし、結果として本当のことがより深く解って来たり、人を慈しむ心が醸成されるのであろう。

 「種の多様性」や「生態系の多様性」はエコロジーの基本テーマであるが、もう一つのテーマは「個体の多様性」で、多様であるから環境の異変があっても絶滅しにくく、種が維持できるのである。



 地球の生命は全て繋がっていて、多様性を認め尊重することが大切になって来る。さらに言えば、それぞれ違うから人の世もメッチャ面白いのである。
 しかし、言うのは簡単だが、「思いと事実の分離」が出来なければ争いが生まれ実現することは難しいのではないだろうか。

 パーマカルチャーの重要な概念の「コミュニティの構築」は自分と違う意見の人を受け入れる、承認出来る自分になるということである。
 
 この対立のない相手を認め合うコミュニティが実現すれば、世界中に広がり「食べられる森づくり」「平和な世界」も可能になって来る・・・・・
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 07:53Comments(0)key word

2013年08月28日

The problem is the solution ! ~問題は解決

The problem is the solution !

 パーマカルチャーではよく聞く言葉だ。問題が見つかれば解決したも同然である、と言う意味であろう。


 「問題を歓迎する人はいない、解決の方に目を向けよう!」とレインボー・バレー・ファームのジョーも言っていた。
しかし、問題に囚われる人は多い。仏教で言う迷いである。

 表面的な問題ではなく、その問題の本質、何が本当の問題かを見つけ出すこと。
 その人の思いではなく、「思いと本質を分離」して、いろいろな人の意見を聴く。 先入観なしで検証することが解決に導く。
 案外本人に問題があったりする場合もある。
 逆に言えば問題点は想像以上にがなかなか気づきにくいという事でもあろう。

 話は変わって、3.11後の環境問題等の講演の中で、未来バンクの田中優さんは「大きな社会的問題」に対して解決するためには
たて・よこ・ななめ」の3通りの方法があると述べた。

1、「たて」:自分自身が政治家を志す。あるいは政治家に影響を及ぼす行動をとり、トップダウンで変えて行く方法。

2、「よこ」:横に広げて行く草の根的な運動。分野ごとのネットワークを作り自分たちの主張をアピールし、ボトムアップで変えて行く方法。

3、「ななめ」:新たな代案を提起し実践して行く方法。解決方法や代案を実際に仲間とつくり、正面から抵抗するのではなく、有効かつ楽しい実態を示すことで、見聞きした人がやりたくなる実践例で社会を変えて行く方法。

 田中優さんは同時に3つの方法が必要だと説いているが、この「ななめ」の方法を推奨し実際行っている。

 パーマカルチャーはまさしくこの「ななめ」の方法である


1の「たて」のやり方は当初の志しや理想は高いのだが、やがて数の論理に組み込まれ多勢に無勢、早晩妥協妥協の連続でなかなか前進しない。現在の野党の低迷ぶりに表徴される。

2の「よこ」は代案がないので被害者的問題だけが嫌悪の対象となり、反対運動になって行く。明らかに社会に良くないことであるので、正義感からの行為かとも思われるが、人と対立し人を憎む行為になり、好ましくない感情を周囲にバラ撒く非生産的な人生となりがちだ。どのようなことであれ非難中傷、怒号恫喝は聞いてて少しも楽しくない。

 例えば、原発問題やこれからのエネルギー問題についての例で考えると解り易い。

3、そこで「ななめ」はどうか、パーマカルチャー提唱者のビル・モリソンはかつて地球環境問題でものすごい反対運動を展開した人であるが、ある時からこんなことしていても環境は良くなっては行かない事に気が付いた。

 そこで「こうすればいいじゃないか!」と作ったのが
 「パーマカルチャーのデザイン体系」である。
 実に具体的で解り易く世界中の心ある人達に支持された。



 実際に日々つくりあげて行く行為は楽しく、またパーマカルチャーはデザイン的に美しく、知的でクリエイティブである。イマジネーションを搔き立て創造的人生を送れる心地よさ。


 「一緒にやろうよ!」と思わず言いたくなる。


 解決することが楽しい、人の喜ぶ顔が嬉しい。伸びようとする人間の本能を刺激するクリエイティブな人生ということになる。自分の幸せを願わなくても幸せになる。


 分け隔てなく、全ての人を幸せにすることが、全ての解決に繋がる。

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 10:53Comments(0)生き方・考え方

2013年05月12日

自立について

 最近、「自立」について悩んでいた若いママさんから相談を受けた。3.11以来そんな立場に立たされている人は多いのではないでしょうか。そこで、あらためて考えてみたら、とても重要なことだと気付きました。

 パーマカルチャーは、人が生きて行くために必要な「衣食住」や「エネルギー」を自ら生産しよう。その為の適正技術を身に付ける方法や考え方を述べているからである。
つまり、≪自立≫して行こうと言っているのである。
   
 事実、自然環境の中で暮らしたいからか、あるいは人間関係の煩わしい混濁した都会から逃げ出したいからか、山に入り自分のライフスタイルに合った自力生活に入ろうとする人達もいる。それはそれでいいのだが、


 しかし、人は一人では生きて行けないし、又持続可能ではない。太古の昔から人間はある集団をつくって助け合い・支え合って生きて来た。今で云う『コミュニティ』である。

 一見「自立」と「コミュニティ」は相反するように思われがちで、ここが混線すると間違いやすい。

●「自立」の類似語は「独立独歩」で、行過ぎると「孤立」になる。器用な人に多い。
●「自立」の反対語は「依存」で、応えてもらえないとムクレてやはり「孤立」になる。

 どちらも「コミュニティ」からは遠く離れて行く。


孤立する人は「不平・不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」が一杯で人となかなか和せない。自分に都合の悪いことが起きると、すぐに人のせいにし「権利・義務・責任」で人を縛り、裁く人です。

自立した人は「不平・不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」が無い人のことで、どんな人とも仲良く出来る、自発的自由意志で動く人のことを云います。

 パーマカルチャーは自立を促しながらも、実は「コミュニティの構築」を強く進めているのである。むしろ、自立した人ではないとコミュニティは築けないのだ。
 人の多様性を尊重し、人を活かし合うやさしい人間関係を目指します。こんな人的環境の中で子供もまっすぐに育つし、老後に不安のない快適な人生が過ごせます。


 今の社会は自分のことは自分で守ること(自己責任)を強要されています。ほんの一握りの人が強者になる格差社会の始まりです。こういうものは「やさしい社会」とは言わないでしょう。・・・・とは解っていても、情けないほど代案が出せない社会の仕組みになっています。

 このような社会の仕組からそれこそ『独立』し、自立した人が集まって「コミュニティ」をつくり、自給自足できる環境を造って行きましょう。
 
 自分が不得手なことを軽々やって行ける人を見ると頼もしく、自分も他の人に喜ばれることをやりたくなる。そんな間柄を目指していきたいものですね。


 先日オープンしたOPeN café「発幸食堂」は商売繁盛を目指しているものではなく、コミュニティの仲間を集めるための拠点としてはじめました。
発酵系の食材や調味料を使用し、幸福な心を醸成し発信して行きたいと思います。

http://openevent.ti-da.net/e4757732.html

   O :  Okinawa
   Pe:  Permaculture
   N : Network
   c :   community
   a :  area
   f :   for
   e :   everyone

 NPO沖縄パーマカルチャー・ネットワークは、全ての人にコミュニティづくりの場を提供して行きたいと思います。

 自然農の野菜の販売提供やワークショップ、展示会、演奏会なども順次やって行きます。

 近い将来、町に在ってはコウ・ハウジング(アーバンパーマカルチャー)を、田舎に在ってはパーマカルチャー・エコビレッジを目指しています。

 参加したい人、この指止~まれ ♪赤

 また、これは完成形を目指すということではなく、来るべき社会のあり方の一つのモデル体として、世界中の人に見てもらいたいという願いなのです。
しかし、完成させることが目的でもなく、そこに向かっての「発幸する暮らし」そのものがパーマカルチャーな文化の現れで、そのようなコミュニティの構築を目指していけたらいいなと思っているのです。


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Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 15:37Comments(2)生き方・考え方

2013年02月27日

モダニズムとは何だったのか

 戦後、とくに理工系全般は「モダニズム=近代化」というバラ色の未来を誘う言葉で教育の現場からビジネス・行政の分野に到るまでこの考え方に染まっていた。(今も染まっている時代遅れの人が多い)
 地方都市で育った私も、正直若い頃は大都会の東京に憧れ、建築家になるという夢に溢れていた。特に私が目指した建築意匠(デザイン)はモダニズム一色で機能的・合理的・効率という解り易いテーゼ一色であった。
 人間の意のままに技術で自然をコントロールし建物を構築する論理で、日本中どこに行っても変わらない特徴のないデザインの建物で埋めつくされ、また世界中の都市は気候・風土・文化を無視した新しいが退屈な建物であふれて行った。
かつて磯崎新は「未来は廃墟である」と言ったが、心なしかマンハッタンが墓標に見えてくるのは私だけだろうか?



 建築材料は鉄・コンクリート・ガラスといった工業製品で、生産に大量のエネルギーを使うが、それでも、構築するには画期的な材料で応用性・可能性・生産性が高く世界中で大量に採用され一斉に広まった。
 そんな折、経済発展が最高潮の日本の大阪でEXPO’70が開催され、近未来都市を多くの人が夢見た。バブルはこの後だが、この時が日本でのモダニズムの頂点であった。



 しかし、1970年代後半頃から建築の世界ではモダニズムの限界を察知した人達が「ポストモダン」という言葉を作り出し、モダンを超えようと様々にトライをしていた。地球環境問題が顕在化してきたのもこの頃である。



 そもそも近代化はフランスの哲学者デカルト(1596-1650)の「方法論序説」のコギト「我思う、故に我あり」をベースにして、イギリスの産業革命により均質な商品を大量に普及させ、多くのエネルギーを使用し経済発展と共に人類の文明の向上に多大な貢献をするという大義名分を内包していて、市民はこぞって所有することに熱狂し、結果「快適で便利」な空間がすべてに行き渡り、これが先進国だと何の問題もないように思い込んできた。
 
 しかし、あの3.11の津波と原発で人間の思い上がった淡い夢は木端微塵に打ち砕かれた。

 私達がやってきたことは一体なんであったか?私たちは考え方を『大転換』しなければならないのではないだろうか。

 宗教学者で有名な哲学者・人類学者の中沢新一は「日本の大転換」で、人類の歴史上長年にわたって社会を成り立たせていた原理は人間同士の心の繋がりで成り立つもので、贈り合いの贈与経済が基本であった。
 これに対し近代の多くの先進国で採用している資本主義は市場原理のシステムで人々の心の繋がりを解体し、人をバラバラの個(孤人)にして行くと記述している。
 また、世界で活躍している建築家の伊藤豊雄との共著「建築の大転換」もこのたびの事故からの教訓をもとに建築の構造的転換を迫る素晴らしく読み応えのある本である。



 人々の繋がりを無くした方が物(商品)は多く売れ、経済的に効率が良い。これは大量生産、大量消費ということで多くのエネルギーを消費するし、利権がらみで、一部のリーダー(成功者と言われる人達)がこのような世界を構築している。
 不安・心配から来る強迫観念で昔は「武力」で、現在は「経済」(お金)で支配者・被支配者の関係が出来上がっている。
 民主主義・市場経済の自由平等「give & take」は掛け声だけで、お互い息つく暇もないくらい競争に明け暮れ、ストレスだらけの人生を送ることになる。

 そろそろこんなまやかしの世界を見破り、「give & give」の贈り合いの世界に転換することを始めよう。その方がズット物も心も豊かな世界になる。
 世界が「贈与経済」になれば、省エネになり対立もない心の通うパーマカルチャーな世界になるのだ。
 親方日の丸的依存体質を改め、一人ひとりが生産者として自立し、自立していながらも人との境界のない、親しい関係。お互いを活かし合う心の通い合う社会を構築して行こう。



 この方が、良いと解っていても、出来てこなかったわけはチャントある。ハードルがあるのだ。

 つまり、その為には人間の三大煩悩「怒り」「欲」「迷い」を手放し、意識を高める以外に道はない。
 問題があると人はついつい事柄や物や規則等の改良改変を目指すが、心が変わらなければ達成されてもまた新たな問題が生じる。
   ≪問題は外部にあるのではない。≫
 心の転換が大事で、モダニズムに染まった「近代的自我」に気付くことであろう。

〇腹の立たない人になる:あるがままを受け入れ、人のせいにしない良い波動を出す人になる。
〇欲を無くすのではなく、小さな自分だけ良くなるセコイ欲望からもっと大きな欲望に転換する。
〇生きている本当の意味を知る:宇宙自然界は「真理=調和=愛」で出来ている。

意識を変えるびっくり たったこれだけでこの世は楽園(パラダイス)になるのだ。
本当にシンプルである。  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 20:09Comments(0)建築

2013年02月04日

生命誌の世界  中村桂子~その知性と眼差し

最近本屋に行って遅まきながら「生命誌」と言う季刊誌があることを知った。
1993年から昨年まで20年間、凄いことに毎年ほぼ4冊づつ出版されて最新号では75号になっている。昨年度のテーマが「遊ぶ」で、若い頃に愛読していた松岡正剛の「遊」を思い出したから手に取ってみた。本を開くと最初に松岡との対談が掲載されいた。中村桂子の生命誌研究館と松岡正剛の編集工学研究所のスローガンが「生命に遊ぶ、歴史を開く、文化に遊ぶ」と共通していることにお二人がお互いに驚いたそうでなかみの濃い対談であった。(左が表紙、右がお二人の写真)



これがキッカケで、14年前の1999年何となく見たTV番組12回のシリーズ「生命誌の世界」NHK人間学講座のテキストを慌てて読み直した。当時興味ある内容とは思って買ったがさっと読んで暫く書棚に眠っていた。しかしこのたび読み返してパーマカルチャーを知っている今、改めて素晴らしい内容だと感激した。目からウロコどころではない。コウラが剥がれる想いである。(右側は目次)



彼女は生命誌研究家で大阪の高槻市にあるJT生命誌研究館館長でもある。近くに住んでたら入りびたりになりたい施設である。彼女は科学者でありながら、専門性のみに陥らず、常に人間としての日常の感覚との橋渡しと生命を基調にした社会づくりを考えている。母性あるいは女性性ゆえなのか、その視点が素晴らしい。
一昨年3.11の年の年末サンデーモーニングに特別コメンテーターとして出演し政界や東電の人達に「イマージネーションが無い!」とバッサリ言い放ったところは痛快であった。

人間にとって本当に望ましいものの解明に「生命科学」は重要な役割を担うとの視点で、「自然」・「人間」・「人工の関係の繋がりからどのような社会が造れるか探って行きたい。また科学を文化にして行きたいとの希求から論を展開して行く。
パーマカルチャーの基本態度として「自然の観察」「伝統の智恵」「現代の科学・技術」の3つの要素があるが、「人工」とは都市・制度・政治・経済・科学技術等を指していて文化人・文明人としての視点である。
38億年と言う生命史から人という生き物が奇跡的に出現し、しかも現在の地球上の全生物と繋がっている。(Newton別冊より)



やがて人類は文化・文明を作り始めて「人間」となった。このことを考慮した社会づくりを考えて行く。これこそがパーマカルチャーなのである。



内容を全部書くと、膨大になるので、ここでは最後の章「生命を基本とする社会」からパーマカルチャーにとって大切なことを拾い上げてみたい。
戦後、画一性や均一性を重視された時期からの反動からか、最近「多様性」が取り上げられているが、「共通性」についてあまり言及されない。パーマカルチャーでも多様性は重要な原則の一つであるが共通性もシッカリ認識しておきたい。

●生物の共通するパターン
1、 積み上げ方式:最初の原核細胞から真核細胞そして多細胞と積み上げてきた様子がゲノムを見ると鮮明に見えてくる。
2、 内側と外側:個という独立の存在ながら、常に外部との係わり合っている。外は内と同じくらい大事。
3、 自己創出系:情報により組織化され、しかも、独自のものを生み出す。情報の基本はゲノム。
4、 複雑化・多様化:ゲノムは重複させ、変化させ、混ぜ合わせるのどしながら次々の新しいものを生み出す。
5、 偶然性:重複時や複製時に偶然に起きる変化で新しい能力が生じ新しい個体が生まれる。
6、 少数の主題で数々の変奏曲:基本は意外と単純で形の形成時に輪・らせん・放射形等パターンは決まっている。
7、 代謝:身体の分子は決して固定しないで、常に作られたり壊されたりしている。
8、 循環:情報は自分で調整・修正。血液も循環。自然界でも物質は循環している。生と死の循環もある。
9、 最大より最適:バランスが大事。栄養分は不可欠だが摂りすぎると毒になる。恐竜やマンモスも大きくなり過ぎた。(富や権力も大きくなると腐敗してくる)
10、 あり合わせ:周囲に順応し、周囲にあるものを活用していく柔軟性のある生き方が随所にみられる。(ブリコラージュ?)
11、 協力的枠組みの中で切磋琢磨:生き物は生きることに懸命だが、共生が重要なことが解ってきた。
12、 ネットワーク:生き物は相互に関係し合っている。

●以上をまとめると生きもののストラテージは

1、 多様だが共通、共通だが多様
2、 安定だが変化し、変化するが安定
3、 巧妙、精密だが遊びがある
4、 偶然が必然となり、必然の中に偶然がある
5、 合理的だがムダがある
6、 精巧な設計図は積み上げ方式で作られる
7、 正常と異常に明確な境はない


一見すると矛盾を抱え込んでいるようであるが、だからこそダイナミズムが保たれている。これが生き物を生き物らしくしいる。合理的だけではない。
生命のあり方を基本としながら「自然」「人間」「人工」を一体のものとした社会づくりが求められている。キーワードは「循環型社会」~一人一人の人間がその一生を思う存分生きることが出来る社会を目指そう。と中村桂子は提案している。




  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 07:34Comments(1)その他

2013年01月26日

自然農法で野菜づくり

有機・無農薬の家庭菜園誌「野菜だより」(隔月刊)のムック版が昨年の9月に出版された。
パーマカルチャーを目指す人には備えたい一冊ではないだろうか。(右側は目次)



パーマカルチャー農法と言うものをあえてビル・モリソンは述べていないのだが「永続可能な文化の構築」と言うからにはおのずと自然農法になるのだろう。
自然農法は「無農薬」「無除草」「無施肥」「不耕起」を基本とするが、実践者により多少の違いがある。自然は奥が深い事の現われであろう。
ちなみに自然農法で有名な人は
MOAの岡田茂吉、粘土団子の福岡正信、赤目自然塾の川口由一、自然循環農法の赤峰勝人、伝承農法の木嶋利男、りんごの木村秋則と錚々たる顔ぶれが浮かぶ。
この中の主だった人達の簡単な紹介、農法等が紹介されていたり、自然農法の基本講座も解説されている。晴れ



また、嬉しいことにパーマカルチャリストにはおなじみの舎爐夢ヒュッテやPCCJの実習コースの講師でもある江口浩寿さんの畑のデザインも紹介されている。OK



野菜づくりで最も大切なことは「土壌」「種」だが、
固定種・伝統種を販売している北海道から九州までの種苗店も紹介されている。
また、公益財団法人「自然農法国際研究開発センター」というところでは、自然農法に特化した種を採取して、それを分けてくれるというヨダレが出そうな情報も載っている。


その他、旧暦でマイ自然農法のつくり方や「農事気象予測と作物生育予測」の情報、輪作の仕方等も載っていて、主だった12種類の野菜の栽培の仕方も解説、わずか100ページ足らずのmook本で上手くまとめられている。ご参考にされると自給ライフが加速すること間違いない。チョキ



最後に、技術やデザインをシッカリ身に付けることも重要だが、自然に添った「本当の生き方」を学び「本物のコミュニティ」をつくれる人になって行きたいものである。
安全と健康のために自給菜園をやりたいという人は多いが、これだけでは弱い。
この本の中で川口由一さんは「人間の生き方そのものを問い、本質を明らかにしていくことを大きな目的としています」と述べている。

般若心経は「空」の思想と言われている。これによれば、

照見五蘊皆空 度一切苦厄
この世は全て「空」であると悟り、苦しみがなくなる。
「空」とは移ろい行く世界をつかさどる法則のことで、もし日常で苦しい事や悲しいことがあれば「考え方・生き方」が間違っているということになる。

是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
このように、この心経の中には「無」が21回も出てくる。これは全ての固定観念を「無」にすることが幸せな人生になるとシツコク強調しているのである。私たちはそれほど先入観や偏見や固定観念に満ち満ちていて自ら苦しんでいるのである。
こういうことが農的暮らしをすれば解ってくる、自然が全てを教えてくれる。
世界は常に変化しているのに頭の中だけは頑固に固定しているので、現実と齟齬を来し苦しみが生じるということだろう。
今、TVではアルジェリア事件の報道がされている。こういう事件が起きるのも固定観念の為せる不幸であろう。

慣行農法や有機農業は損得であるのでこれらが見えないが、自然農法は「本当の生き方」が見えてくるのである。やはりここまで行きたい。

おまけ、
昨年末11月に新しいパーマカルチャーの本がでた。ビル・モリソンと共に1978年にパーマカルチャーを提唱したデビッド・ホルムグレンが書き下ろした上下2冊の本で、タイトルもズバリ「パーマカルチャー」~農的暮らしを実現するための12の原理。



世界中の人がパーマカルチャリストになればジョン・レノンが夢見たイマジンの世界になるのに・・・ねハート  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 06:10Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2012年12月12日

コミュニケーション(会話)の進化

 社会とは複数の関係し合っている「人間」のネットワークのことで、一人では生きて行けない人間は社会生活の上で「コミュニケーション(会話)」が最も重要な要素であるびっくり!!

 事実、就活時の採用側の担当者はその人の『コミュニケーション力』を一番重要視するようである。長年一緒に仕事をする人と上手く話が出来ないと困ったことになるからだそうである。また取引相手の感情を害することになれば企業として致命的にもなる。

 500万年ほど昔、人類が森から草原に降りて来て2足歩行を始めた時、喉に余裕が出来て色々な音声が出しやすくなり言語が発達したと言われている。
 この言語の発達と同時に手が自由になって道具を作ることが出来るようになり「脳」が発達し人類は知的生命体として進化して来たようである。
 しかし、人類の歴史は地球の歴史や38億年の生命誌からみるとまだまだ浅く知的レベルは幼稚で、対立感や争い事が無くならないようではまだまだ初期的段階のようにみえる。
 進歩には「競争」が必要だと教育の場や職場で公然と言われるようでは、進歩する前に破滅しかねない危うさに苛まれそうである。爆弾


 コミュニケーションは《聴く人》と《話す人》がいて成立するもので、どちらか一方では成り立たない。今のような競争社会では「言った方が勝ち」で、聴く人のことはまるで眼中になく一歩的に喋りまくり、あろうことか相手に何も喋らせないくらいの勢いである。ぐすん
 たとえ相手が喋っていても次に何を喋ろうかばかり考えていて、相手の話はほとんど聞いていないようである。政治家の先生たちやコメンテーターがテレビに出て討論してもこんな調子である。つまり、コミュニケーションが成り立っていないのである。

コミュニケーションの基本

   投げかけたものが返ってくる。投げかけなければ返らない。
    愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。
    嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない
。」



 これは、宇宙の法則でもあり、実にシンプルなことである。
 人は、言っている中身より、その時に発している「心の波動」のようなものが伝わるようである。

 相手の言うことを無視すれば、自分も無視される。言えば言うほどソッポを向かれる。会話はまず「聴く」ことから始まる。聞いたらすぐ自分の意見を言おうとしがちだが、まずはとことん相手の言うことや根拠を聴こうとする態度が必要で、途中で話の腰を折らないことが肝心なのである。(これにはある程度練習が必要かもしれない汗

 先日ラジオ放送である方の投稿を紹介していた。何か悩み事等があると近所の人達がよく相談に行くおばあちゃんがいるそうで、地元では評判の人らしい。どんな凄いおばあちゃんかと思っていたら、そのおばあちゃんは頷くだけ、一方的に聴くだけで、何も答えないらしい。相談者にとことん喋らしてその後に聞くらしい「それで、あなたは何をしたいの?」と。そこで答えると、「そう!それならやってみればいいね。」と、ただそれだけだそうである。


 人は誰かに自分を理解してもらいたい。認めてもらいたいと強い欲求かあるようである。(マズローの欲求の第4段階)

 自分の『気持ち』(思いや感情等)を伝え、相手の『気持ち』(思いや感情等)を受けとろうとすること。これがコミュニケーションで、人間社会の基本をなすものである。


 しかし、現状の話し合いの場面では、相手の言った『こと』に反応し、相手の『気持ち』を無視していることがとても多く見受けられる。
 例えば、自分と異なる意見を言うと、反対・否定・対立と受け取り感情を害したり、相手の意見より自分の方が正しいと頑固に主張して相手の人間そのものを受け入れない感情に苛まれたりしている。何をどう思うとその人の勝手なのにね。
 言われたことはやらなきゃならないと思ったりする癖がついているようだ。

 ハッキリしておきたいことは「話し合うこと」と「行動すること」は別物であるということである。行動するかどうかはその人の自由意志である。


 相手を理解しよう、受入れようとする人がいることで、安心して思うがままに自分のことが話せるようにるのである。ニコニコ
 コミュニケーションは「聴き合う」ことが基本で、これが出来るようになってはじめて「本当の話し合い」が出来るようになるのである。こうなれば、遠慮や気兼ねなく何でも言えるようになる。また、異なる意見を言う人に興味が出て来て益々聴きたくなる。
 相手が個人だけでなく社会や国家間でも同じで、「聴き合う文化」になれば、「世界は住みよく、楽しい社会」になるのだがねぇ・・・・
 シンプルなんだけどね・・・・

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 18:30Comments(2)生き方・考え方

2012年10月26日

永続可能な生き方、ライフスタイル~モデルとしてのエコビレッジ

 世界の人口が70億人を超えた今、永続可能な地球環境に目を向ければ、「ローカリゼション」と言う在り方・考え方に注目せざるを得ないだろう。



 産業革命以来、大資本を得た多国籍企業が「開発・援助」「近代化」という大義名分で経済のグローバル化を推進し、それを後押しする政治体制のもとで、ピュア―な子供や人々の欲望を刺激し「便利・快適」「都市化」を押し進めて来た。しかし、このことは地球システムや生命の連鎖にとって≪自然環境≫の破壊を広げるだけるだけはなく、風土に根差した≪文化≫をも根こそぎ破壊し、また地元の人々の≪貧富の格差≫をも押し広げてしまうことが明らかになって来た。



 こんな現状で、私たちは何を指針に行動したらいいのだろうか。

 我が国は、戦後50年廃墟からGDP(国内総生産)で世界3位とトップクラスの裕福な国に成長してきた。しかし、その結果「幸せ」になったかと言えば、ほとんどの国民はそう感じておらず、このことに関しては世界の中では相当に低い水準である。
 これは、「幸福」と「物資が豊富」とはほぼ無関係であることが明確に示されたということであろう。
 
 昨年11月にブータンの国王夫妻が新婚旅行を兼ねて来日された。この国のGDPは世界の161位で、日本よりはるか物や富は少ない。しかし、この国は多くの人々がコミュニティある農村で暮らし97%の人が「自分は幸せだ」と感じているそうである。



 何故だろう?
 その大きな要因の一つに、この国のには優れた政治家がいるということである。
 GDPやGNPに奔走する先進諸国の状態を冷静に観察して、国の方針をGNH(Gross National Happiness)国民総幸福量と定め、

  ・公平で公正な社会経済の発展
  ・文化的・精神的な遺産の保存
  ・自然環境の保存
  ・よき統治

を指針としてやってきた結果である。
その後、世界の先進諸国でも研究し統計をとったりして国民総幸福量を測る項目として次の9項目を定めた。

  1、心理的幸福
  2、健康
  3、教育
  4、文化
  5、環境
  6、コミュニティ
  7、良い統治
  8、生活水準
  9、自分の時間の使い方

 
 これによると、1位はデンマーク、2位はスイス、3位はオーストリア、4位はアイスランド、5位はバハマ、6位はフィンランド、7位はスウェーデン、8位はブータン・・・・
 先進国と言われるアメリカは23位、ドイツは41位、イギリスは62位、フランスは82位、中国は90位、そして日本は125位だそうである。
 
 幸福度を測る基準と国民が幸福と感じることとは少し違いがあるかも知れないが、参考になるデーターではないだろうか。日本人が「幸福」と言えないのも頷ける。



 GNHを目指すなら、ローカリゼーション。
 やたらと人を煽り、物のみの豊富さを推し進める現在の政界、経済界、産業界とはもうそろそろ見切りをつけIndependence(独立)しよう。
 食べ物やエネルギーの地産地消。経済の地産地商。
 人々の多様性を認め比較競争を無くし、その持ち味を引き出す教育。
 そして人の役に立つ仕事に就き、どんな人とも親しい間柄になって、社会全体が良くなるような生き方に転換する。

 本当は子供達にそんな社会を贈りたいのではないのだろうか?



 そのモデルとしての「エコビレッジ」

 コミュニティが行き届く100人程度の適正規模で、安心安全な食べ物を自分たちの手で作り、再生可能エネルギーも国のインフラにたよらず自分達の手で作る。
 なるべく、国の通貨に依存しない「地域通貨」を活用したり。物々交換で出来ることは物々交換で。また、自分たちで事業を起こし、生活の為にストレスを抱える仕事ではなく。楽しく人の喜ぶ仕事を創出して行こう。
 「医療・介護」「教育・保育」も家族だけで囲うこともなくシェアー出来ることはなるべくシェアーする生活ができる。
住まいも孤立することなく、たとえシングルの老若男女でも、一緒に食事をしたりくつろいだり出来る暮らし。



 こんな余裕ある暮らしをする為には「意識の成長と進化」が必要で、此処には信頼できるコミュニティが存在し、あの世に行かなくても楽園生活を満喫できます。
 幸福度の低い人は、何かを頼って自分の幸福をあの世に行ってからと、先延ばししているようだが、本当にそうか解らないものに賭けるより、人間の知性をもってすれば、容易に実現出来そうだ。
 そういうビレッジなら「私も住みたーい!」「早くつくりたーい!」という声が聞こえそうだが、焦ることなく急いで作って行きましょう。

 つくろうとする過程そのものが幸福なことで、コミュニティそのものなのだ。
 そんな≪コミュニティづくり≫が一番重要で、そんな人が10人も集まれば自然と出来て行くものだと思われます。
 それはどのような「コミュニティ」でしょうか?・・・それはとてもシンプルなことです。

 不平・不満・愚痴・泣き言・悪口・文句・イライラ・セカセカしない人の集まりです。
 ~腹の立たない人、どんな人とも「welcom!」親しい関係をつくれる人の集まりです。



 世の中の不条理、理不尽なことに反対することも必要な事かも知れませんが、そんな人たちをも否定せず、「welcom!」。
 その人も本当の自分に気付かないで言っているですから、その人の言っていることに反応するのではなく、その人そのものを丸ごと受け入れる人になり、その人の本当の心を聴ける人になることの方が早道です。
 
 よく言われることですが、人を変えることは困難です。自分が変わることが簡単で早道です。



≪Your Independence Day(あなたの独立記念日)に乾杯!≫  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 22:54Comments(0)生き方・考え方

2012年09月16日

ブリコラージュ:器用仕事 (kw17)

 今の建物をつくる工程は最初に設計図を描き、それに合わせて材料を調達し、依頼者(施主)が資金を出して業者に依頼、専門の職人が組み立てるのが一般的だが・・・・・・・

 一生掛けてローン返済に縛られるこのシステムから脱却したいものだ。


 ブリコラージュはパーマカルチャーで云うセルフビルドの考え方に似ている。
 なるべくお金を使わない最小限の資金で、材料も廃品廃材を貰ってきたり、そこにあるものを使って自分であるいは仲間と共に作る。
 大まかな構想はあるが、最初に完璧な設計図は作らないで、材料調達に合わせその都度作って行くので、あうんの呼吸が必要で、何時できるかもハッキリしない。気楽な仕事でもある。



 この言葉は「寄せ集め」「自分でつくる」「真似事」「ごまかし」等フランス語に由来し、社会人類学者で「構造主義」を提唱し世界の思想界をリードしたクロード・レヴィ―=ストロース(1908~2009)が「野生の思考」等で述べられた概念で「器用仕事」と訳されている。



 これはモダニズムで確立された計画する「エンジニアリング」と対極をなす考え方である。
 グローバル経済を押進めた≪モダニズム≫からの脱却のキーワードになるかびっくり!!・・・・・ポストモダニズムグー

 今注目をあびている分子生物学者の福岡信一さんは、生き物の「受精卵」はプログラム(設計図)が組まれて形が出来上がって行くのではなくて、その場その場で臨機応変に細胞同士が空気を読み合い発生的に出来ていると、パスカルに対するコメントで述べていた。



 よくよく考えてみるともともと、私たちの考え方、生き方もブリコラージュで、オリジナルなものはほとんどなく、全て臨機応変に寄せ集めで組み立てたものである。

 クリエイティブとはその繋がり方が今までにない新しい組み合わせの事なのだ。
 エコロジーでいうReuseに似ているが、そのまま使うのではなく、違う用途に使う器用さを要求され、アッサンブラージュ、コラージュ等アートの概念も含まれる。



 忙しい現代には歓迎されないようだが、等身大の適正技術でもあり、作る喜びがある。

 まさに『パーマカルチャー的』であるOK



  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 17:11Comments(0)key word

2012年08月27日

マズローを超えて・・・・『コミュニティの欲求』 (kw16)

 アメリカの心理学者のアブラム・マズロー(1908~1970)は欲求の5段階説でよく知られている。現在心理学の世界も多岐にわたり超心理学などは自然現象内では測れない超常現象までカバーしているようだ。
 しかし、我々が経験するリアルな世界では、未だにマズローの欲求段階説は有効に思われる。


 多くの方に知れ渡っていることだが、軽く振り返ってみよう。

1、、≪生理的欲求≫:人類の最初の欲求で、動物もすべてそうだが、これがないと生命維持・保存が困難なもので、食事、睡眠、排泄、SEX等々の欲求ことだ。

2、、≪安全の欲求≫:1の欲求が満たされると同時に、次に出てくる欲求がでいつまでも生きていたいという欲求だ。

※この2つが『生存欲求』とか『物質的欲求』とかとか言われている。



3、≪所属・愛の欲求≫:生存欲求が満たされると、人類は集団を形成し所属と愛を求める。その方が生存に有利だし、一体感や安心感が満たされるようだ。(親和の欲求とも言っている)

4、≪承認の欲求≫:人は集団や社会の中で、周りの人達に自分の存在を認められたいという欲求が出てくる、これが高じたものが「財力」「権力」「名誉」で、相対的ではあるが相当強い欲望で、ここに煩悩が発生する。(自我の欲求とも言っている)

※この2つが『精神的欲求』とか『社会的欲求』とかとか言われている。



 しかし、人間は人の目を気にしながら精力的にやっている時期は気づかないが、間もなく「財力・権力・名誉」では満たされないものを感じ始めるようだ。そこで・・

5、≪自己実現の欲求≫:A・マズローの言う最後の欲求。これが人間ならではの、無報酬で飯も食わずに打ち込むほど心を動かす対象で、≪真・善・美≫を求めることもその最たる例で、一人でいても充実感や自己肯定感、自尊心、幸福感を感じるものでしょう。
 人間は、自分自身を決して誤魔化せないのである。
「本当にやりたいことをやりた~い!」

※これが『成長欲求』と言われ、精神的存在の人間の究極の欲求でしょう。



 
 しかし、これでも心ある人は何かが足りないと気づき始めた。
自己実現しても満たされないものがある。自己実現は何処まで行っても「自己の欲求」だからである。他の人にとってはそれに何の価値も見いだせない人が大勢いるのだ。
 マズロー自身も何かが欠けていると感じたようで≪自己超越の欲求≫だとか構想していたようである。しかし、これは個人的な脳内体験であり、話がややこしくなるので、今の段階では保留にしておこう。



6、≪コミュニティの欲求≫:今までの5段階は全て「自己の欲求」である。
 それに対して、「社会の欲求」つまり、個々人の個別閉鎖欲求ではなく、ガイアの一員としての「全体の欲求」が付け加えるべきだとか言われ始めた。
 この欲求は「自己実現の欲求」の次に付け加える欲求ではなく、次元の違う欲求のようだ。



 コミュニティの欲求は「愛を求める」のではな、く「愛を与える欲求」の世界で、自分に有利とか自分が得する『私利私欲』に対し、
 『公利公欲』と呼ばれる世界のことである。
 愛は求めても限界があるが、与えることには限界がない。

≪無限≫ ≪永遠≫ ≪無境界≫ 
≪無辺の愛≫

 この意識で満たされると果てしなく広がる世界が見えてくる。
 煩悩を取り去る修業も、瞑想も必要がない。
 苦しみからの出発ではなく、喜びの世界からの出発である。
そこに人類の意識が転換できるかどうかに掛かっている。



『パーマカルチャー』は、食料やエネルギーの自給を提唱し、コミュニティの構築を行動理念として掲げている。それにより自己欲求の5段階は充足され、6段階の「コミュニティの欲求」も満たされていく。

 OPeNの理念≪世界中の人が住みよい、楽しい社会づくり≫

『パーマカルチャー』はそのような世界を構築することであり、それを実現するための具体的手段なのである。

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 18:05Comments(0)key word

2012年08月03日

今、三重県が面白い、凄い!・・・⑤アズワン・コミュニティ

ジョン・レノンの名曲でヒット曲の「imagine」は
♪ Imagine there’s no Heaven  it’s easy if you try ♪
想像してごらん 天国なんて無いんだと ほら、簡単でしょう?・・・ではじまり、そして、最後は
♪ I hope someday you’ll join us  And the world will live as one ♪
いつか、あなたもみんな仲間になって、そして世界はきっとひとつになるんだ。

この最後の「as one」をとって名付けられたコミュニティ「アズワン」

最近とみにパーマカルチャーの仲間達に知れるようになった。
コミュニティでありながら、三重の鈴鹿の町に点在し溶け込んで、区別がつかない。区別しようとも思っていないらしい。


普通、共同体のようなグループはシッカリ囲いがあって、出入りが出来ても境界のようなものがある。しかし、このコミュニティは
完全にオープン
でどこまでがグループか、どの人が仲間か、どのくらいの人が所属しているのかさえ、明確には解らない。明確にする必要がないらしい。果たしてこれがコミュニティ(共同体)と呼べるのだろうか?・・・

このコミュニティの最大の特色は
アズワン・コミュニティ
サイエンズ・スクール
サイエンズ研究所
の3つの機関が密接に連動しているところだろう。


理想を求め、いろんな活動体や共同体が出来る。
最初は盛り上がるが、人が増えるにつれ次第に人間関係が上手く行かなくなりついには
規則」や「権威」で
まとめるしかなくなってしまう。

これでは今の社会と何ら変わらず、ギクシャクしたりついには解散したりとなかなか良好には行かない場合が多い。

事柄をすすめるのは良いのだが、一番肝心なことは
人の心や人格の成長」(意識の進化・成長)
である。そこを担うのが
「サイエンズ・スクール」で様々な人間的成長が可能なプログラムが用意されている。


「サイエンズ研究所」
Scientific Investigation of Essential Nature(科学的本質の探究)の頭文字にZero(ゼロ、零、原点、無、空・・)を合わせ『SCIENZ』と表したもので、人間と社会について科学的に研究するシンクタンク的な機関。
全ての人が愛し合い、活かし合う、豊かさに満ちた、安定した快適な社会を人類に齎すことを目的としている。


人の特徴は何と言っても頭脳・知能・心である。
「アズワン・コミュニティ」は、
その心・意識が成長した人達が現実のこの世界で生業をしていくために様々な活動や仕事をしていくコミュニティである。

・ゲストハウス、食堂、ゲストホーム
・マンション:現在Ⅰ~Ⅳ棟経営、不動産業、美容室、運輸業
・農場経営、弁当屋、肉屋・八百屋、便利屋
・コミュニティ・ガーデン、里山ツーリズム、
・カルチャーステーション:環境共生社会システム研究所、地域通貨、暮らしの相談所

等の事業を現在は運営しているようである。
これも、こういうことをやりたいという人が現れたら、みんなが資金から場所やその他ノウハウまで色々と協力してくれるようだ。だから、来年どういう風に発展しているか楽しみである。

これからの新しい社会の方向は
『愛・調和』・『共生・互恵』
をベースにした社会であるとよく言われる。それは、これまでの社会はその反対語である
『我欲・対立』・『競争・孤立』
をベースに教育され、社会はそれによって組織されてきた。その歴史に終止符を打つ試みである。

「アズワン」の目指すものは、誰もが反目や依存なく、自立した自分になろうとする人達で、考え方や生き方を検らべ、人として成長しあうための場でもあり、人を責めたり統制する必要のない親愛の情が溢れる社会気風を育てることにあるようだ。

前回の『ヤマギシの村』が、一つのまとまった共同体(一体社会)とすれば、この『アズワンコミュニティ』は完全に地域に開放された共同体である。
どの部分から係わっても良いし、どのくらい係わろうとその人次第というところだろう。

この三重県シリーズの最後にあたり・・・・・
この県の先見性のあるところを5回に渡って紹介してきたが、何か心に響くものがあったら、一度訪れてみては如何だろうか?
この5か所めぐりツアー(1週間コース)もありかしらん?


より大きな地図で 三重県は面白い、凄い! を表示

想像だけではなかなか解らない。今までの社会にはない文脈で構成されているからである。
また、今までの文脈や常識観で判断してもなかなか見えて来ないかも知れないが、先入観や固定観念なしに体験することである。
人に触れ、その場に身を置くことによって何かを感ずるはずである。

超!お勧めのところばかしである。

I hope someday you'll join us  And the world live as one ♪

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 17:41Comments(0)その他

2012年07月21日

首里コミュニティガーデン現況

 あーりーさんが作ってくれた農園看板が迎えてくれる


 少しづつではあるが、施設も出来て来た。前回4月にできたビオトーフも安定し、水草も順調に育ち、2匹いたメダカも大分増え体調4㎝のもいる。やはり水のある風景は癒される。夕方頃には日陰になり夕涼みする格好の場所になっている。


 最近、ツリーハウスもデビューだ。最初に作られたウッドデッキのすぐ傍だ。今は床だけであるがそれでも、子供たちは我先にと登り始める格好の遊び場だ。下にはスコップやツルハシ、クワなどがかけられる壁も併設された。


ここから、道具小屋のあるところに階段も作られ、アクセスが良くなった。
ここを登れば農園の一番奥にあるお休み処がある。道具小屋を兼ねた休憩所ハウスが造られた。


11畳分の広さだ。大型テーブルが2台と手づくりスクリーン兼ホワイトボードも付設され、上映会やプレゼンが出来る。


念願の道具小屋



先日みんなで一品持ち寄り農園パーティーを催した。
「気ままにロハススタイル」に出演された照喜名さんのDVDをみんなで見た。
やはり、寄り合うことは新しい何かを生み出す。アーバンパーマカルチャーのプレゼンも行われ、盛り上がる。






まちなかで自給菜園をしながら、再生可能エネルギーも生み出し、孤住からシェアーし合いながらの楽しいライフスタイルへの転換だ。
今や、原発反対や有機野菜を探し回る消極的な生き方から、自分たちで作る積極的な生き方を行動する時に来ているのだ。

次の施設は女性陣から望まれている自然循環農法のコンポストトイレだ。2畳弱の広さなので、更衣室も兼ねている。
現在は屋根まで出来ていて、これから壁の工事である。
農園の中にスクッと立っている姿は佐賀の吉野ケ里の建物に似ていて逞しい。


昨日、照喜名さんよりレッドカーペットを戴いた。まるでウエディングロードハート



一人では不可能なことも仲間が集えばいろんなことが出来る。晴れ

「首里ワイワイ農園」がそのきっかけになれば嬉しい。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 15:54Comments(0)パーマカルチャーガーデン

2012年07月05日

今、三重県が面白い、凄い!・・・④ヤマギシの村

 今では「ヤマギシの村」のことを知る人が大分少なくなってきた。


 今から22年前の1990年、この村の考え方や現状の紹介などが
 「ヤマギシズム文化祭」~自然と人為の調和~と題して展示された。
 これを見た時の衝撃は大きく、天地がひっくり返りそうだった。なかでも子供達(中高生)の純粋な目の輝きに圧倒された。



 この国では、集団を組んで活動していると、オカシナ怪しい集団と思われがちで、ヤマギシも例にもれず、昔からそんな偏見と誤解を受けて来た。
 宗教団体と疑われたり(実際はその逆で科学:哲学集団である)、また原始共産主義と言われたりもした。私有がなく自由・平等・友愛と言う点ではそうだが、的外れである。
 それに反し企業はあまり誤解されない、むしろ大きくなればなるほど信頼が生まれブランド化するほどである。この差はなんだろう?

 それはさておき、この村は山岸巳代蔵(1901~1961)が1953年京都で始め、伊賀に根をおろした組織である。
 
 最初は養鶏の普及活動団体であったが、山岸の考え方は「ヤマギシズム」と称して、深遠で人間愛・社会愛に溢れ、その養鶏場そのものが
 「理想社会の縮図
 として表現され、共鳴者が増え段々と「全ての人が幸福な社会」を目指す組織として拡大して行った。
 今注目されているGNH(国民総幸福量)が60年前から模索されて来たのだ。


 ヤマギシの村は山岸巳代蔵の考え方・思想を実際に顕すという意味で「ヤマギシズム社会実顕地」と称している。
 以前紹介した富士山の新しいエコビレッジ「木の花ファミリー」の大先輩格で、経済的には≪財布一つ≫で営まれている。
・・・・と言うより「衣食住」全てがタダで享受でき、保育も介護も医療も全てタダなので、お金は必要ないのだ。 全ての人が他人ではなく家族なのだ。

 食料を自給していると強い

 この国が右肩上がりで経済が発展し、そしてバブルの頃まで、物のみの豊かさを追い求めて狂騒していた情勢の中では、ヤマギシの村の在り方は奇異に見え、いぶかられ誤解を受けたが、経済が行き詰まりエネルギー問題、食料問題で不安を抱える現状、特に3.11以降人同士の繋がりの必要性に気付いた現在、今一度ヤマギシの村を検証し直す契機が出て来たのではないのだろうか。

 ヤマギシの村のウィークポイントは2点ほどある。一つは、閉鎖的に見えるところだ。モクモクファームのようにもっと地域に開放し多くの方に来てもらい交流を図るようになったり、地域の農家とも経済的にも交流関係を築いたりできるようになれば、もっともっと広がりを見せるだろう。
 もう一つはデザイン。建物やランドスケープがありきたりの平凡なもので、パーマカルチャーのように環境デザインを考慮し、一つ一つのアイテムを丁寧にデザインすれば多くの人を魅了しファンも増大するであろう。例えば、



 さて、永続可能な地球環境やエコロジーからの観点で今、世界は大きくシフトしようとしている。否シフトしなければ立ち行かなくなるのは明らかなことで、世界は経済のグローバル化からローカリゼーションにシフトし始めていて、食料やエネルギーを自給する小さな経済のエコビレッジが次々と立ち上がっている。

 ヤマギシの村は1990年代の終りごろが最盛期で、酪農・農産物を生産し家畜の糞を堆肥化し農場に入れる循環農法を既に始めていた。加工食品も盛んで早くから6次産業化していて、年商500億ともいわれ、人口は全体で2,500人くらいいたようである。 規模的に見れば、前回のモクモクファームを遥かに凌ぐ凄い村である。


 ヤマギシの村で一番大きな村は三重県津市高野尾町にある「豊里実顕地」で。1990年代の終りごろは大人、子供、お年寄り合わせて700人程いたようだが、その後運営上の問題が出て、残念ながら今は規模も年商も半減した模様である。それにしても、まだ充分に凄い村である。


 コミュニティの規模は100人~150人が適正規模と言われ、これ以上になると組織が縦割りになり上手く行かなくなるようである。
 たとえどんなに素晴らしい集団でも「2-6-2の法則」は当てはまり、反発で離れて行った人もいるが、大半の人はヤマギシズムの考え方で、違った運営の仕方を試みるべく巣立った人達が多い。
しかし、今でも国内に14か所、海外にも5か所ほどヤマギシの村はある。


 三重県にある「春日山実顕地」と「豊里実顕地」は参観がいつでも可能で、お泊り参観もOKである。春日山の方は牧歌的な村の雰囲気で、豊里は加工場や畜舎が多く村と言うより小さな町のようである。
 
 参観してすぐ気付くことだが、村の人達はフレンドリーで心優しさに触れ癒される。生活が一生涯保障されているので不安や心配もなく決めつけもない心穏やかな村である。


 パーマカルチャーを目指す人にはとても魅力的な村に映ることだろう。

 自分の「目と耳と心」で確かめるのが一番いいのではないだろうか。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 14:24Comments(3)その他

2012年06月21日

信じない、疑わない

 私達は信じる(信じている)という言葉をよく使う。

●「私はあなたを信じている」と言う時は、強く期待しているという意味で使っている。これは言われた方はプレッシャーを感じるかも知れないが罪は軽い。

●もう一つはシッカリ「信仰的」で、「これが正しい・真実である」という意味で使っている。これは時として恐ろしい結果を招く場合が多い。戦争やテロなどはこの例である。



 冷静に「信じる」という意味を考えてみると、ハッキリ証明できないにも関わらず「これが正しい・真実である」と頑固一徹思い込んでいる状態のことである。
 自分の知識・経験に照らして何となくそうだとか、苦しい時に救われたからとか、この本に書いてあるからとか、あの偉大な人がそう言っているから間違いない、真実に違いない!と勘違いしやすいものだ



 もし本当なら「信じる」とは言わない「正解」と言う。証明できるからである。例えば「2+3=5だと信じている!」とは決して言わない。このことから・・・・・

 『信じる』とは「根拠なくこれが正しい・真実であると思い込んでいる状態」のことで、

 『疑う』とは「根拠なくこれは間違い・嘘であると思い込んでいる状態」のことである。

 あまり気付かないが、常日頃、我々は結構安易に「信じたり、疑ったり」している。習慣化しているのかも知れない。

 人が言ったことや見たことを安易に信じたりするが、それが裏切られたら一転、怒りまくる。また、疑っていたりしたことが解消すればホットしたり・・・心境は忙しい。ややこしい。愛くるしいとも言えるが・・・・



 人類は歴史上、死ぬか生きるか長い長い大変な戦いをして来たようである。これが習慣化しているのか、心の拠り所として「信じる」ことに求めたい気持ちは理解できるのだが、これらは知的な行為ではない。普遍化しない。

 何故なら、いかに真理・真実だと思っても、その人の判断力で正しいと判断したのだから、その人の「判断力が絶対だ!」と言っているようなもので、他の人が言っていることは「間違いで、嘘である!」とする傲慢な態度なのだ。

 科学者が真実・真理を求めて追及している時は「信じたり・疑ったり」はしていない、あくまで正解(真実)を求めて究明している。



 信じた時点で思考停止になるのだ。疑いを感じたら放置せず本当かどうかすぐ検証に入る。

 事実を事実として「見る」「聴く」ことが出来れば、いつも安泰をキープできる。

 パーマカルチャーでは「観察」を大事にする。
 フィルター(色メガネ)を付けて見れば本当のこと、「真実」は見えない。固定観念や先入観の入った観察結果で計画すれば永続可能なデザインにはならないだろう。

 「パーマカルチャーの基盤をなすのは、自然のシステムの観察と、昔からの農業のやり方の中に含まれている智恵、そして現代の科学・技術的知識である。
 それは生態学的モデルに基づいたものではあるが、パーマカルチャーは「耕された」生態系をつくり出す。すなわち、通常自然の中で見られる以上に多くの、人や動物の食物を生産しうるシステムをデザイン、設計するのである。」(パーマカルチャーより)



「信じない・疑わない」で、子供のような好奇心を持てば世界はワンダーランドに見えるだろう。

 パーマカルチャー提唱者のビルモリソンは次のようなことを述べている。
 「勝手口の扉の前に座ってみれば、よい暮らしをするのに必要なものはみんなそこにそろっている。太陽、風、人々、建物、石、海、小鳥や植物などがわれわれを包んでいる。これらすべてと協調すれば調和が生まれ、反抗すると災害と混乱が起こるのである。」

  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 15:08Comments(0)生き方・考え方

2012年06月15日

今、三重県が面白い、凄い!・・・③モクモクファーム

 丁度4年前の6月、かねてから行きたかった「伊賀の里モクモク手づくりファーム」を訪れた。
 名古屋~奈良を結ぶ東名阪自動車道路の壬生野ICを降りて10分少々、伊賀の田舎道を結構走る。本当にこんなところにあるのかな?と少し不安に思っていると突然大きな施設にたどり着いた。なんと!大型バスが何台も停まる大きな駐車場があった。



サインも楽しくお洒落ニコニコ



駐車場より入口付近を見る



 なんでも年間50万人の人が訪れるそうで1日の平均にすると1,370人!はこの田舎では「スゲー!」の一言。
 1988年創業、当初は伊賀の養豚農家が経済のグローバル化、貿易の自由化の波で売れなくなり、何とかしなければという危機感を持った人達が集まって発足したそうである。
農業公園の敷地面積は14ha=42,000坪(東京ドーム3個分)



 農業はイメージが悪い、戦後は3K(きつい、きたない、きけん)の代表選手のようにみられ、若者にとって農業は選択肢外で、親も決して奨めず、他の収入の安定した職業に就くように進学を奨励した。挙句に1991年のバブル崩壊以来グローバル経済の波にもまれ、就職口もどんどん減って行き、2008年のリーマンショック以来世界中が混乱、低迷している。
 そんな中、世間の動向に左右されず、毅然と光を放つ時代の先駆け「モクモクファーム」

 これからの農業の、そして若者の仕事観の見本となるのではと言われている。
 
 10年前に年商25億円と聞いたのだが、現在はなんと47億円であるキョロキョロびっくり
 社員も100人だったのが、150人に増えて平均年齢が30歳というから驚く。
 普通の農家は65歳以上のお年寄りがばかりで後継者がいないので、今後耕作放棄地問題や農業の衰退が危惧されている。
 しかし、ここでは生産はもとより、加工、販売まで、今で云う6次産業化のモデルとなっていて、見学者が後を絶たない。
 もちろん応募者も後を絶たないびっくり
 社員以外にパートが150人、アルバイトが400人、そして周辺地域の取引している野菜や酪農の農家が100件、お米農家が80件あるそうである。
 園内に入ってすぐに気付くのは施設が個性的でお洒落。サインやパッケージに至るまで楽しそうで、よくデザインされている。

【元気な野菜塾市場】の外観と内部





【野天温泉もくもくの湯】



【農村カフェ】



【モクモクショップ】の外観と内部 モクモクの商品がほとんど販売されている。





ここまではフリーで、この先は有料となっている。地図の上2/3の部分

【バーベキュービアハウス】 着いた日のランチそここでいただいた。働いている若い従業員たちが明るくて爽やかで気持ち良い。





【地ビール工房ブルワリー&麦芽工房】地ビールはコクがあって美味しい!



【手づくり体験C館】の外観と内部 モクモクの人気に火が付いたウィンナーの手づくり体験ができるところ





【PaPaビアレストラン】の外観と内部 宿泊者のメインダイニングとしても使われている。明るいガラスハウスの中に本物のブドウの木が茂っている。バイキングスタイルで料理の種類も多くて採り立ての新鮮な食材がすこぶる美味しい!







【おかえりビレッジ】 宿泊棟 地図の左上、一端外に出てから行くことになる。8名泊まれる直径8m程のコンクリート製のドームで、全部で38頭コテージ風に並んでいて集落のよう。よつば



 宿泊した次の朝は農業体験ということで、希望者は朝の作業に参加できる。私達はジャージー牛の赤ちゃんへ授乳する作業をさせてもらった。受入れも若者達で、やる気満々で楽しくやっているし、やはり笑顔が素敵だ。
 日本の多くの会社の社長さん達にはヨダレの出そうな笑顔である。



 どの若者も見学者や来園者に対して、とてもフレンドリーなのだ。決してマニュアル対応ではなく、よほど仕事が楽しいのだろう、心からの言葉で対応してくるので、お客は嬉しくなってしまうのだ。

 視察に来た方々には儲かる秘訣ばかりを探しに来ないで、従業員が何故楽しく、やる気が出て、笑顔で人に応対したくなるのかを見て欲しいのだ。
ここが肝心びっくり!!

 創業者の木村社長と吉田専務の絶妙のコンビが生み出したかつてないモクモクはワクワクの農業公園である。

 お腹もこころも満たされて、「日本中の会社や企業がこうなったらいいネー!」、「そうしたいネー」と思いながら帰路についた。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 13:11Comments(0)その他