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Posted by TI-DA at

2013年09月24日

対立なし、妥協なし

 これは、NPO法人「沖縄パーマカルチャー・ネットワーク」の現在の理事長の宜保伸さんから聴いた言葉だ。(今年の4月、私が沖縄を離れることになった時、理事長を引き継いでいただいた)

 まさしく対立なしの言葉通りの方で、とてもフレンドリーでいつもニコニコ笑顔が絶えない。
 6年前沖縄に移住した時に、最初に訪ねた人である。また、偶然にも「沖縄スローフード協会」でも出合い、それ以来親しくお付き合いして戴いている。
 会いに行ったキッカケは「沖縄ロハス」という本に「ウチナー・パーマカルチャー」の記事を読んでいたからである。名護でランドシンフォニ―という広い3,000坪の敷地で、マイペースでいろんなものを作っておられた。


「対立なし、妥協なし」
 この言葉を聞いた時は「なるほどなー」と思った。対立はしないが、妥協もしない。素晴らしスタンスである。
 妥協はしないと言えば少し頑固そうだが、地方や田舎では、新しい試みをすれば、周りの人達にいろんなことを云われる。ましてや横文字の訳の解らない言葉であり、説明も難しい。
 しかし、地域の人たちと仲悪くなっては窮屈である。その時に思われたことではないかと推測している。

 さて、この本は2006年に出版されたものだが、読んでない人に少しこの記事の紹介すれば、
 宜保さんは総合レンタル業の会社に長年勤めていたので、会社等で不要になった土木建設機械やイベント用品に到るまでいろいろな廃棄物を広大な敷地に保存しながら様々なものを作っている。一例をあげると

 ・立っても車いすでも使えるレイズドベットのレンタルガーデン
 ・木造の屋外水洗トイレ
 ・輸送用の海上コンテナ40ft 2基は住まい
 ・乾燥機のドラムを赤く塗った郵便受
 ・小さなコンテナは畑用の水まきに使う貯水槽
 ・燻製を作る時の鉄釜
その他
 ・塩づくりや炭づくり
 ・酵素ジュースや沖縄の保存食のスーチカづくり等いろんなものに挑戦する。


 PCCJ(パーマカルチャーセンタージャパン)主催のパーマカルチャー・ツアーが以前は年に2回催されていた。
 ・1月のオーストラリア・ニュージーランドPCツアー、
 ・8月のカナダ・北米のPCツアー
 パーマカルチャー・コウハウジングやエコビレッジ・・・どこも美しい!そして住んでいるい人達のフレンドリーさはさすがパーマカルチャーである。行く価値充分にある。
 その両方ともご夫婦揃って行っておられ、カナダのエコビレッジでヒントになった6角形をしたコテージをウエルカムキッチンとしてセルフビルドされている。宜保さんは知り合いも多く、いつもキッチンは賑わっている。


 また、最近では道路の反対側の500坪の敷地にお友達の方が20坪ほどの木造のコテージを、材料も手間も全てボランティアで作ってくれたそうである。
 宜保さんはブラジルに行くのが夢で、近くにある名桜大学の生涯教育でポルトガル語を受講されている。そこで若い学生と盛んに交流されて彼等の集まる場所としても使われているようである。近いうちには、われらが「OPeN café」としても使ってもいいよと聞いている。

まるで「ブリコラージュ・ギボ・ランド」である。

「対立なし、妥協なし」の成果であろう。

みなさんも名護にあるランドシンフォニーに一度は訪れて、
NPO法人 沖縄パーマカルチャー・ネットワーク」新理事長の宜保さんを、みなさん応援してくださいね~!
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 17:37Comments(0)その他

2013年09月21日

思いと事実の分離  ~ 多様性の承認

 人類は700万年程前に、ジャングルを離れあるいは離される事件が発生しサバンナに降り立った時、霊長類から分化し、人類として歩み始めた。


 幸か不幸かは解らないが、そのことにより人類は、「二足歩行」→「自由になった手(道具の使用)」と「言語の発達」→「頭脳の発達」→「想像力」等獲得した。これが文化・文明を生み出し歴史を重ねて現代の空間・社会をかたちづくっている。


 このこと自体は感動的で素晴らしく、われわれの御先祖様達に感謝したくなる奇跡的進化である。

 しかし、良い事ばかりではないようで、人はその発達した頭脳により、いつも頭の中は忙しく、ひと時も休むことはなく思いを張り巡らしている。これが煩悩(苦悩)を生み出す。


 また、人の遺伝子DNAはA・G・T・Cの4種類の塩基配列の約30億の組合せで人をデザインしているのだが、この内の300万カ所(1/1000)に人それぞれ違いがあり、これが人の個性をつくっているようである。


 このように人はもって生まれた外見やキャラクターにも違いがあり、それぞれ育った環境、風土や人的関係、たまたま得た知識・情報、経験等に全て違いがあり、当り前のことながら同じ人はいない。全ての人は違う感性、考え方、価値観を有していて、到底他人には解らないばかりか、自分でも自分のことがよく解らないことが沢山ある。

 一つの事象に対しての印象、感想を100人に聴けば、100通りの異なった応答が返ってくる。
「あたりまえじゃん!」と言いながら、日常の生活の中ではなかなかこれが認めきれない。

 似たような意見だと無防備に賛同したり、違う意見を言われると、拒絶したり、腹を立てることもしばしばある。これは自分の意見が何となく「当り前」「普通」「正しい」と思っているためだろう。


 私達は、判断の材料となる情報を五感(目・耳・舌・鼻・肌)で受容している。第六感(直観)もあるが、これらから得た材料で自分の「観念」を構築し、価値判断を行っている。
 なかでも視覚系と聴覚系で取得したものが最も多くの情報となっている。しかも、視覚は可視光線の狭い範囲でしか知覚できない限定的なもので、聴覚にしても耳の可聴範囲の狭い音域で、しかも理解可能な言語に限られる。


 そんな中で判断をしているのだから、真理に近づくのは容易なことではない。聖書の言葉を借りれば「らくだが針の穴を通る」より難しい。

 
 前置きが少々長くなってしまったが、このような有様だから、いろいろな事象・事物に対して自分が「思うこと」と「事実や真理」とは分けて考えることが大変重要になる。

        『思いと事実の分離』 

 自分が思うことや考えることは完全ではないという謙虚な態度が、他の人の意見を大切にし、結果として本当のことがより深く解って来たり、人を慈しむ心が醸成されるのであろう。

 「種の多様性」や「生態系の多様性」はエコロジーの基本テーマであるが、もう一つのテーマは「個体の多様性」で、多様であるから環境の異変があっても絶滅しにくく、種が維持できるのである。



 地球の生命は全て繋がっていて、多様性を認め尊重することが大切になって来る。さらに言えば、それぞれ違うから人の世もメッチャ面白いのである。
 しかし、言うのは簡単だが、「思いと事実の分離」が出来なければ争いが生まれ実現することは難しいのではないだろうか。

 パーマカルチャーの重要な概念の「コミュニティの構築」は自分と違う意見の人を受け入れる、承認出来る自分になるということである。
 
 この対立のない相手を認め合うコミュニティが実現すれば、世界中に広がり「食べられる森づくり」「平和な世界」も可能になって来る・・・・・
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 07:53Comments(0)key word