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Posted by TI-DA at

2015年01月27日

ライトと天心 ~ 自然との共生

 建築家の中で、私にとってもっとも魅力的な人はF・L・ライトである。建築はヴィジュアルで体験的であるから空間の作り方・在り方に世界を見るのである。


 ライトの建築で最も有名で人気があるのは「落水荘」(旧カウフマン邸)で、確かに素晴らしい建築であるが、南国好きな私にとって、最もフィットする建築は《タリアセン・ウエスト》である。


         左:落水荘   右:タリアセン・ウエスト(一部)

 パーマカルチャー的に言えば地産地消の材料でセルフビルドしたということになろうか、これは弟子たちと一緒につくった住居兼アトリエで、施工や材料は 荒々しいが、空間の構成や配置が繊細で素晴らしく、アリゾナの砂漠にしかり根付いている。オアシスとはこのような空間を言うのではないだろうか。実存感に満ち満ちている。

 クリエイティブな行為には、哲学がある。その建築家は何をめざし何をやろうとしているのかが重要で、彼の建築論は自然に学び自然を表現する有機的建築と言われ、今流の言い方では
自然との共生』である。

 ここに1世紀以上も前に書かれた岡倉天心の「茶の本」がある。ライトの弟子の一人であるラスムッセン氏は、死ぬ前にこれしか読めないと言われたら「茶の本」を選ぶと言うから並々ならぬ影響があるのだろう。この事を聞くまでは正直「茶の本」にあまり関心がなかったが、シンクロとはあるものでライトの本を読んだすぐ後に、NHK「100分で名著」の番組でこれが始まったのである。


 「茶の本」は 110年も前に書かれた本で、茶の作法とかの指南書ではなく。自然との共生を説いた先見の書といわれ、『日本文化論』を西洋社会に向けて紹介された天心の3部作の一つである。「茶」は中国の『老荘思想(道教)』+『禅』がルーツになっており、日本に入ってきて完成されたもので日本人の世界観・美意識が凝縮されたものある。天心が茶に見出したものは

 「相対性の認識」と「不完全性の美学」と言われる。
 
 
 表現者は自己を空にして、相手を呼び込み自由な発想を引き出し「自他一体」の境地に達する。

 この時代、日本は西洋の文明・文化(モダニズム)を取り入れることに国中が血眼になって燃え上がっていた時代であったが、天心はこの近代化には限界があると早々に見抜いて、日本の精神の奥底にある「自然との共生」に原点回帰を促したものである。今でこそ当たり前のことだが当時は彼の言葉に耳を傾ける人はそういなかった。

 20世紀の近代建築の巨匠はル・コルビュジェミース・ファン・デル・ローエそしてフランク・ロイド・ライトの3人とよく言われていたが、前者の2人は確かに20世紀の都市景観を造ってきたし、最も進歩的とも見なされたが、パーマカルチャー的視点で言えばこの建築論では21世紀以降は持続できないのではないだろうか。


 世界の人口が70億を突破し、地球環境の悪化が指摘され、世界を推進している近代文明の限界が指摘され、ローカリゼーションへの回帰、エコロジーが叫ばれている現在、そういう意味からもパーマカルチャー的「自然との共生」のF・L・ライトの建築がこれからの指針となるのではないだろうか。
 文明的にフライングしたものをスタート地点に戻すだけである。彼は建築家として偉大であるが、人間としても親愛の情に充つる偉大な人でもあった。   


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 08:02Comments(0)建築

2015年01月15日

NHK大河ドラマ~ 花燃ゆ

 今まで日本人や日本史にあまり関心が届いていなかったが、昨年萩に行き吉田松陰歴史館の展示を見た時に感じるものがあった。その時アナウンスがあったNHK大河ドラマ「花燃ゆ」がいよいよはじまった。
 主人公は4女の文(ふみ)でドラマとしては恋愛もあり、イケメンも揃え多くの人に見てもらいたいようである・・・


 時代背景は鎖国という徳川幕府が政権を握っていた時代で、終焉を迎えようとした幕末の激動の時代に松陰は生まれた。
 松陰がやろうとしたことは「尊皇攘夷」とか「国粋主義」等もあって倒幕に奔走し、今となってはどうかなという面もあるが、それでも強く我々を惹きつけるのは彼の「生き方」である。


 自分の事はほとんど顧みず、国(公=社会)のことを思い貪欲に学問を吸収し、激しい情熱で実践に移す姿に圧倒されるのだ。
 幕末にペリーに開国を迫られ、日本が占領され植民地化するのを危惧し、命をかけて戦った僅か30年の一生である。


 21世紀の現在の情況ではパーマカルチャー(永続可能な文化)的に言えば次のようなことが想定される。

【自然環境】地球生命圏を保全するためグローバリエーションからローカリゼーションへ転換すること。

【社会環境】格差社会を生み出す経済システムをなくし、人が人間らしく生きることのできる互恵・共生社会に転換すること。

【個人意識】我欲・対立をなくし、愛と調和の精神に転換すること。

 これらのコンセプトは様々な分野で随分言われてきたが、これらを実現する方法論が確立されてないので、なかなか草の根的に広がって行ってない面もある。インターネットやSNSが発達した今、こういう事を本気で思っている人達が連携し共にやって行ければと願う。
 政治家、役人や学者に任せてもなかなか進まない。誰もが生活に密着した方法が必要であろう。例えば・・・

 松陰先生曰く「草莽崛起(そうもうくっき)」・・・在野の人と共に、立ち上がれ!

 現在でも萩市の小学校では松陰先生の教えを毎朝朗唱するという。(其々の学年と学期ごとに全部で18の文章がある)。
 例えば1年の1学期は
   今日よりぞ 幼心を打ち捨てて
   人と成りにし 道を踏めかし

 と「自立」を促し、
 6年の1学期では
   体は私なり 心は公なり
   私を役(使うこと)して 公に殉う(したがう)者を大人と為し
   公を役して 私に殉う者を小人と為す
 と「公人として生きよ」と言っている。
 松陰先生はそれほど萩では慕われているようである。


 吉田松陰を知る上で「ぴあMOOK」はなかなか良いテキストになる。価格も¥580と手頃である。

 これから1年間大河ドラマ「花燃ゆ」を見ながらさらに自分をインスパイアーしたい。  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 10:48Comments(0)ジャパネスク

2015年01月13日

選挙制度について

 佐賀県知事選挙が終わった。4名の立候補者のうち自民党系の候補者が2名出て保守系は分裂したが、本命と言われた自民党系樋渡氏(得票率39.2%)が前半リードしたが、分裂しても結局同じ自民党系の山口氏(得票49.9%)が逆転当選した 。オスプレイや玄海原発の案件があったにも関わらず、地方は保守が悲しいほど圧倒的に強い。


 パーマカルチャー的にはグリーン革命を唱えるクリーンな島谷氏を押したが、結果は散々!8.9%の支持しか取れなかった。地元出身ではなく、組織もない人はどんなに良いマニフェストを掲げても無理のようだ。


 しかし、問題は「投票率」。先の衆院選と同じく投票率が半数を少し超えたくらいの過去最低で、民主主義の選挙とは言えないのではないだろうか。これでは新知事も結局県民の4分の1の支持しか得られていない計算となる。
 投票率は国政も県政も人口の減少と比例して下がり続けている。そろそろ選挙のやり方を見直す時期に来ているのではないだろうか。自分に降りかかる国や県の将来を決める重要なことなので、年寄りだけでなく若者もみんなが選挙に行く仕組みをみんなで考えましょう。投票に行かない理由は 

  ①私1人が投票に行っても行かなくても体勢は変わらない。
  ②立候補者が身近に感じられない。
  ③立候補者がどういう考えの持ち主かよく解らない。
  ④興味がない。

 他にも色々理由が考えられる。これを改善するには 

「出たい人」から「出したい人」への選挙制度の転換

 現在は出たい人が立候補するのが前提で、これが汚職に繋がったり、またシガラミガ出てきて地元や近親者に有利な施策を行うことに繋がる。
 利権に絡む制度は早々になくしたほうが良い。今の議員さんの中で吉田松陰みたいに「この国を良くしたい!」と無報酬でもやる位の気概をお持ちの方はどのくらいいるのでしょうか?

 出たい人ではなく、出したい人を選ぶのが良い方法ではないか。自分が出てもらいたい人であれば、当然関心を持ち投票率が挙がる。例えば・・・
  ①ノーベル賞や国民栄誉賞、紅白出場歌手等々を選ぶように、立候補者を選ぶ独立した「機関」を設け、そこで相応しい「立候補者」を選ぶ。
  ②国民投票で推薦する人たちを選ぶ。

 その他にもあろうが、これらの方法で定数の2倍位の候補者を選び選挙を行う。この場合選挙活動は行わない。マニフェストだけ報道機関が掲載する。選挙は金がかるし、候補者の供託金の負担や大変な選挙の活動も削減できる。
 
 いつの間にかよく解らない裁判員制度が出来たが、人を裁くとんでもなく重い決定を専門家でもない普通の国民から無作為に選んで強制任務に就かせるくらいなら、国会員制度をつくり議員にしたほうがよっぽど民意を表す決定ができるのではないだろうか?
 
 民主主義の根幹「最大多数の最大幸福」から『多数決』ということが物事を決定するときの大原則になっているが、これ以上の良い案がなかなか出てこないので、出てくるまでの次善策として提案したい。
  


Posted by 半農半Xの仕掛け人 at 14:03Comments(0)その他